世界は、あなたが思うよりずっと大きな包容力を持っている。
✳︎依存症の人から見た世界✳︎
乱れた服装で、身体をふらつかせながら電車の車内でストロングゼロを開け、飲みはじめた見た目年齢50代の男性。電車はある駅に停まり、ドアが開く。
その時男性はふらふらと立ち上がった。しかし、荷物が服と絡まったり足元がおぼつかず、そうこうしているうちに閉まるドア。
再び走り出す電車。停車するたび男性は立ち上がるが、相変わらず足元はふらふら。車内を移動するのにも時間がかかる。そして電車は、最初男性が降りようとした駅から一駅、また一駅と遠ざかる。
そんな様子を見ながらふと昼間会った私が仕事で関わるあるヤングケアラーの学生さんの事を思い出す。彼の親も恋人も本人にも、リストカットの癖がある。そしてその学生さんは言う。「リストカットを知ってしまった以上、リストカットの無い人生など、あり得ない」と。
注射をうつことすら怖いビビりな私には想像がつかない世界。けれど、彼ら依存症者は、我々が夏の喉カラカラの時に「あー!ビール飲みたい!」とか、仕事終わりに「あー!もう焼肉食べたい!」という位のノリで、「あー切りたい!」となるのだと言う。
✳︎依存症の人が見せる、仮の姿✳︎
はたから見ていて、明らかに生活や学習に支障をきたしているように見える。けれど、やめられない「何か」。
第三者から見ると、「お酒なんて飲まなければ良い」「なぜ、痛い思いをしてまで身体を傷つけるのか?」と単純に思う。また、見る人によってはリストカットする人を単なる「かまってちゃん」だと誤解する人すらいる。
でも実際に話を聞いてみると、お酒もリストカットなどの癖も、だれか人間に対する依存もゲーム依存も、私が見た限り、依存傾向を持つ人の多くが過剰なくらい人目を気にする繊細さを持ち、周囲の人のちょっとした言葉や顔色に敏感に反応しては人に合わせていて、表面的には一見、かなり好感度が高い人として認識されている事が割とある。
✳︎好感度の高さの裏にあるもの✳︎
その好感度の高さに対する違和感。嘘っぽさ。それは職員間でも共有出来る人もいれば、出来ない人もいる位、非常に微妙なものだ。そうして見過ごされたまま、誰にも助けを求める事ができず、また助けの手を延べられることのないまま月日が流れ、ますます内面と外面がかけ離れていき、最終的に人間不信になって、お酒や自傷などに逃げ場を求めているケースが多い印象を、個人的には受けている。
その好感度の高さの裏に、本人としては何かに逃げ場を求めるしかなかったあまりに救いのないシビアな事情や負担、苦しい思いを言葉に表現して周囲と折衝出来る程のコミニュケーション(特にアサーション)能力を磨く機会に恵まれなかった不遇の環境が隠れていたりする。
✳︎少しだけ視野を広げて見てみれば・・・✳︎
それ以外逃げ場がない。と彼らは口を揃えて言う。だけど、それは果たして本当だろうか?実は、まだ世界の広さや、世界の持つ多様性に対する包容力を、そしてさまざまな利用できる制度を知らないだけではないだろうか?
彼らと接していて私は時々そう思う。
彼らの多くは、外に出る事、人に会うことを怖がる。けれど実は世界はもっと優しくて、汚いものも沢山ある反面それと同じくらい温かさに満ちている。
受け入れてもらえないなら受け入れてもらえる場所に行けば良い。世界はあなたが思うよりずっと大きな包容力を持っている。その事に気づける日がいつか来れば良いなと、私は時々彼らを見ながら感じる。