パワハラ上司に負けて辞めた元OLから見た兵庫県知事の辞任劇
(机をたたく音)バンッ!!!
「俺のことを陥れようとしているだろ!」
これはかつての上司が私に浴びせた言葉。
退職に至るまでの地獄は、この言葉から始まった。
もともと私から見た上司は内弁慶な様子の人で、一部の取りまきとだけ関わるのを好むコミュニケーションスタイルの人という印象の人物だった。私はもともと長いものに自らぐるぐる巻きになりにいくタイプではないこともあり、取り巻きメンバーではなかった。なので必要以上にかかわることは無かったけれど、業務上の報連相は丁寧に行っていたつもりだった。
それで、ある日突然上司から呼び出され、「陥れようとしている」といういわれのない疑いをかけられたとき、反射的に私は落としどころはどこかと考えを巡らせていた。その背景には無意識のうちにそれまで業務上においての調整は、複雑にこじれたものほど私に回ってきていたこともあり、調整は好きではないものの、不得意というほどでもないとの認識があったのだと思う。
今になって思えばその認識こそ、すれ違いの起点だったのでは?と思う。
今年、兵庫県知事の斎藤氏のパワハラ報道に触れたとき、私は自分と重なるものを感じた。
5年前。どうにか誤解を解けないかと試行錯誤したあの地獄のような日々は、いまだにふとした瞬間、蘇る。
誤解を解こうともがくほどに増えた人格否定と脅迫や暴力。それらをやめてもらえないかと窓口に相談したり、もがいたことがことごとく裏目に出てハラスメントはますますエスカレートしたこと。人間関係の切り離しとデマの中、人間不信は最高潮に達し、膨らみ続ける人と接することへの恐れ。なかなか退職の許可が出ず、パワハラ上司を介してでしか他人とやり取りすることが許されない中で仕事を進めることの困難さ。深刻な不眠と胸焼けとめまいと動悸。マスクの下で人知れず泣きながら仕事し、この世に存在している事を連日土下座で詫びた地獄のような時間。そしてその時から続く「どこで間違えたからこんなことになったのだろう」という疑問。
自分以外の視点は、上司のハラスメントな言動をどのように解釈し、どのように対処するのか。
役職こそ違えども、兵庫県で起きたことは別の世界線の自分のように感じた。だからこそ私の中に残っている疑問のヒントになるかも?との思いで見守ってきた。
けれど報道の内容はどんどん論点がズレていった。様々な弁護士、議員、キャスター、市民が言葉を投げても知事にはまったく届かず、キャッチボールは成立しない。そして話題の中心はハラスメントから選挙へと移っていった。
そんな中、知事から出た「辞任までするほどのことなのかという疑問」との主旨の発言で、目からうろこが落ちた。
そうか。
話がかみ合わないのではなく、そもそも知事は対話の土俵に乗る必要性を感じていないのか。
今まで伝え方にばかり注目していたけれど、言葉をやりとりすること自体拒否しているのなら前提がひっくり返る。そうか。伝え方以前の話だったのか。
そう思って自分のケースを振り返ると、私の対話を求める態度こそ、上司にとっては部下の傲慢さであり、罰し指導するべき人間性の表れとして解釈がなされた可能性もあるようにも思える。
これはもう、山でヒグマにあったときに「話せばわかる」とはならないのと同じで、死んだふりをするわけでもなく、背中も見せずにそっと距離をとるしかない。そういうタイプの人間もいるのだな・・・
すごく衝撃的な気づきだった。今まで、対話を過信しすぎてきた怖いもの知らずの自分に気が付いた。と同時にコミュニケーションの限界を目の当たりにした気がした。
思いがけない形で自分の中の長年疑問に終止符が打たれた。
今の私の心はいつになく晴れ晴れとしている。