カナダの出産競争
久しぶりの投稿です、しばらくリハビリをします〜
カナダときたら人が少なく、土地が広いイメージがあります。
カナダの人口の少ない理由について一つあまり知られていない面白い物語があります。
実は百年前に、カナダにはとある出産競争が起き、結果は逆に本日の人口減少に影響しました。
1926年のカナダ、とある億万長者が亡くなりました。彼はカナダの鉄道、酒、競馬などいろんな業界にビジネスを展開し、カナダ屈指の超お金持ちでした。彼死後、莫大な遺産が残されたにも関わらず生涯結婚せず、子供もいなかった、両親も幼い頃亡くなり、親戚もなく天涯孤独の身でした。カナダの法律により遺産は彼の遺言通りに配分することになりました。
「自分死後10年、生まれた子供が最も多い家庭に1千万カナダドルを差し上げる、もし同じ数が複数なら、全ての家庭は1千万カナダドルを均等に分け与える」
この遺言を見た時の弁護士さんに同情します。
遺言が公開され、カナダ全国が沸騰しました。人々は仕事をやめ子供作りを励み、産婦人科が最も繁忙な場所となりました。
実はこの富豪生きていた時もよく似たような悪戯を繰り返してきました。例えば貧民街に行き、札束を投げ捨て人々の反応を陰から見るのが楽しいとか、これは彼なりのストレス解消法でした。
実は遺言に他の悪戯もありました。自分の別荘経営権を敵同士の3名弁護士に与え、自分の別荘で互い喧嘩する姿を楽しみにしているとか。自分のビール会社の株を当地禁酒運動リーダーであるプロテスタント牧師にあげ、会社の他の株主みんなはカトリック教徒とか、競売協会の権利を反対派に上げる……
とにかく、この遺言は彼の悪戯好き性格を完璧に再現しました。
今見れば悪戯好きな面白いお爺さんだなと思うかもしれませんが、当時の政府が非常に困りました。財産をもらえるのは極少数に過ぎず、大多数の家庭はこの出産競争によって破産するのは目に見えるからです。しかも政府の社会福祉に対する支出も大幅に増大し、もし政府が払えなくなれば、より多くな人が破産となり、社会、国家の崩壊になり得ます。
こんな恐ろしい未来を考えた政府は遺言の実行を干渉し、財産を全て国に寄附するよう試みましたが、翌日1万を超えた家庭は政府に抗議の文章を送りつけ、デモを行いました。
「私有財産は何人も侵害されることが許されない」ということで、カナダ政府は仕方がなく禁止令をやめ、人々は再び家にお帰り子供作りを励みました。
さて、あっという間に十年が過ぎました、ドキドキワクワクする最後の統計作業が始まり、結果八人を産んだ家庭は20個を超え、九人は6個、十人は1個、十一人1個。しかし、十一人の家庭は残念ながら育てる力がないため、すでに3名の子供が亡くなってしまい、決勝進出できなかった。
そして十人のママも5人目から合法の夫がなく、全て私生児のため資格もなくなり、家に帰って泣き寝入りしかできません。
最後優勝できたのは9人子供を産んだ4つの家族、均等に250万カナダドルをもらえました。今の1億カナダドル(100億円)に相当します。
こちらの家族はもちろん楽しい生活が待っていますが、他の人々は悲惨な結末が待っています。お爺さんが亡くなった翌年は1929年経済危機の年でした。アメリカの庭に位置するカナダは無論もろに経済危機を受けてしまい、失業率が急増、多くな人は出産競争によって人生をやり直すつもりでしたが、現実は残酷でした。賞金どころか子供が増えたことによってさらに貧しくなりました。
カナダ政府は遺言公開当初の予測は正しかったです、新生児の数が急増したことによって幼稚教育、学校など施設が足りなくなり、政府の財政も子供の福祉を保障できなくなり、子供を捨てる人も多く増えました。中年の負担が増え、社会総収入39%減小、4分の1の家庭は社会保障で生き延びています。
唯一良かったのはカナダ人は徹底的に反省しました。翻弄された国民はやっと目覚め、子供作りを細心の注意を行うようになり、子作りを聞いただけで頭が痛くなる程人も増えました。
こうやって勝手に子供を産んではいけないという考え方が自然に浸透しました。100年近くを過ぎ、今のカナダの人口は依然に少ないのはこの事件に非常に関係しています。
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