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言葉を学んで使い、通じる喜び | 私が台湾に「通う」理由

2003年3月のこと。
まだ、SNSはなく、スマートフォンもない時代の話です。

私は台湾・台北市内の大学で、交換留学生として学んでいました

渡航から半年以上経ち、中国語(國語と呼ばれる繁体字中国語。本文では便宜上「中国語」と書きます。)でのコミュニケーションに慣れてきた頃

元々旅行が好きだった私は週末にひとり、台北以外の都市に足を運ぶようになりました

高雄へ行った日のこと

週末のよく晴れた朝、たまたま早い時間に目が覚めた私はふと、南部の主要都市である高雄に日帰りで行くことを思い立ちました。

今でこそ台湾は、日本の新幹線技術が投入された高速鉄道が北部と南部とを繋いでおり、台北から高雄までは最短90分でアクセスすることができます。ただ当時はまだ、これも開通していませんでした。在来線特急で4時間、高速バスで5時間の道のりです。

国鉄の台北駅から在来線特急「自強號」に乗り込み、昼前に高雄に到着。

台北とは10℃以上気温が異なり、夏の陽気の下、半袖Tシャツで市内散歩を楽しみました。

市内をさんざん歩き回り日が落ちてきたところで、開いたばかりの夜市の屋台で買い食いをし、夕方6時過ぎに「往台北(台北行)」と書かれた民間の高速バスに乗り込みました。

ターミナルにいくつかのバス会社がある中、一番安いのを選びました。このバスは台北へは直行はせず、途中の街に停車してお客さんを乗せたり降ろしたりしながら、台北に向かいます。

「ニーハオ」挨拶してバスに乗り込むと、運転手さんはビンロウを噛みながら、真っ赤になった口で、ニヤリと反応を返してくれました。

バスが走り出したところで分かったのは、この運転手さんは主に台湾語(主に台湾南部で話される現地語)を話す方だということです。台湾語で車内アナウンスらしきものをしていますが、外国人の私は中国語の日常会話が精一杯、言っていることは何一つ分かりません。

とはいえ、私は台北行きのバスに乗り込んだことでホッとして、車が高速道路に入ったあたりからウトウトしていました。

事件は夜10時前に

バスが台湾北部の入口、中レキ市(レキは土へんに歴)に差し掛かったあたりで、車内のスピーカーから運転手さんが何かを呼びかけています。が、何を言っているのか全く分かりません。

念のため、通路を挟んで隣にいた若い女性に「私台湾語分からないから中国語で何言っているか教えて」と聞くと、

「道路が混んでおり遅れているため、このバスは台北に行きません。」
…ファッ!?

「台北まで行きたい人は言ってください。」
ハイハイハイハイハイ、それは私です(…どうなるんだろう)

台北行きのバスだったのに、何それ意味が分からないわと思いつつ、通訳をしてくれた女性と一緒に、手を挙げながら運転手さんのところに行くと、

「この先の合流地点に別の方向から来たバスを待たせてあるから、一旦この車を降りて前の車に乗りなさい。」
…お、おぅ、マジですか。

「ごめんね!気をつけて〜!」

そうして私は台湾で、夜の高速道路を50mほど「歩く」という、またとない経験をしました 笑。

忘れられない、夜の高速ドライブ

前にいたバスに乗り込むと、「ごめんね〜!」先ほどのバスよりも若い運転手さんが優しく迎えてくれました。

「よかったらここに座って」と、バスガイドさん用の席に座らせてくれることに。乗り物が好きな私は、高速バスの助手席ならではのワイドビューにテンションが上がります。

「どこから来たの?」

日本の大学から来た留学生だと伝えると、お世辞かもしれないけれど、私の中国語を褒めてくれました。

運転席と助手席とのやり取りの中で私は、半年前は今よりもずっと言葉ができずに大変だったこと、今でも発音や声調で苦労していること、それでも台湾でできた友達がみんな優しく助けてくれて、楽しく過ごせていることなどを話しました。

すると運転手さん、

「僕も元々、中国語は話せなかった。」
「僕、原住民なの。タイヤル族って知ってる?」

「僕の民族には独自の言語があって、文字を持たない。家ではそれを話すから、中国語は学校に行ってから習った。勉強したから、今こうして働けている。」

かたや、中国語を勉強中の日本人の私。
かたや、中国語を勉強して使えるようになった台湾人のバス運転手さん。

うまく言えないけれど、ここに至るまでにお互いに言葉を学んでこなければ、このコミュニケーションは成立していなかったんだと思うと、感慨深いものがありました

言葉を学んで使い、通じる喜び

私が旅をする理由の一つに、「学んだ言葉を使ってみたい、試してみたい」というのがあります。

小さい時から広い世界に憧れ、どこでも生きていける人になりたいと思った私は、まずは英語を一生懸命勉強しました。

当時は今ほどインターネットが発達しておらず、オンライン英会話もなかったので、ひたすらに読み書き中心。頑張りの結果、外国語大学に入学できたものの、その頃にはもうアルファベットを見るのもうんざりするほどでした。

そんな私に、言葉を学んで使うことの楽しさを思い起こさせてくれたのが、台湾への交換留学だったのです。

たまたま縁のあった教授に「台湾ならまだ希望者がいないから、出せば行けるわよ!」と勧められるがままに出願し、うっかり中国語力ゼロで受かってしまった交換留学。

渡航したては、自分の名前を現地の読み方で名乗ることすらできませんでした。それが、現地の友達、街で出会う大勢の人に日々親切に接してもらい、つたない中国語に耳を傾けてもらったことで、「学んで話して通じる喜び」を知ることができました。

あの時の気持ちを思い出したくて、私は台湾に「通う」のだと思います

台北での交換留学生活はこの事件の2ヶ月後、SARSの流行により思わぬ形で終わりを迎えるのですが、その後は毎年台湾を訪れ、サビつき気味の中国語を使っての観光を楽しんでいます。

今年のお正月も台湾南部で迎えました。まさかこの3ヶ月後、日本と台湾の往来ができなくなるなんて想像もしていませんでしたが。

観光での往来が復活したら、その時はまた。

学んだ言葉を使い、現地の人と話すことを通じて、楽しい思い出の続きを作れますように。

いっぱい喋っちゃうぞ

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