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昭和10年代の台湾-恒春に鉄道がつながる日

四重渓を出て今度は貸切自動車で恒春に向かう。小一時間三円位。途中天然瓦斯が湧出する地獄門の出火と云うところあり。恒春庄は小さな城郭を持ち、昔は省城が置かれたところで、四時春の如しと云われる土地であるが、常時季節風に悩まされており、木麻黄と云う松に似た熱帯植物による防風林が多数植えられていた。此の海域は鯨の繁殖場で、捕鯨会社によると年間百頭捕れるのだと云う。ただ、抹香鯨の香りは魚油の焦げる酷い匂いであり嗅ぐに堪えなかった。自分は恒春で二泊し、有名な石門を見るなどした。旅館の主人と談話する。鄭と云う主人によると、恒春城の歴史について語り、昨年に城が史跡になったとしきりに自慢を云うので、和歌山城天守閣も昨年国宝になった為何やら親近感があると答えておいた。また、総督府は蕃害を撃退したのち此の地に鯨業農業を施したが、比較に男子が多いものの、花町がない為自らせんずりするのだと云う。正に商機なり。

NHKラジオに「気象通報」という番組があります。NHKで最も歴史のある番組のひとつで、国内外各地の風向・風力・天気・気圧・気温の順に淡々と述べられているのですが、台湾では台北と恒春のふたつが取り上げられています。高雄ではなく恒春である理由は、この町が台湾南端に位置しているからだと考えられます。今日は恒春の話です。

恒春と捕鯨

台湾南部は蘭の宝庫で、胡蝶蘭が多数野生していることから、恒春はかつて「瑯嶠(ランの音訳)」とよばれていました(ついでになりますが、台湾東部にある離島・紅頭嶼は、蘭が咲く島であったため第二次世界大戦後「蘭嶼」と名づけられました)。十九世紀に入り、年じゅう温暖な気候であることから「恒春」と名づけられ、現在に至ります。ちなみに夏の平均最高気温は大阪よりも涼しいです。
筆者の日記によると、当時の恒春は捕鯨産業で栄えていたと書かれています。実際、東洋捕鯨株式会社(現在のニッスイ)が恒春からさらに南の南湾という地域(現在ではビーチのあるところで有名です)で商業捕鯨を行っていました。捕鯨産業というと日本文化の文脈からとらえがちですが、当時の捕鯨は外貨獲得のためであり、マッコウクジラの場合は工業用の、ヒゲクジラの場合は食用の鯨油が取られていて、当時、鯨肉は好んで食べるに至っていませんでした。
もっとも筆者は、捕鯨産業に従事する男たちをみつめながら「別の産業」を思いついたようですが。

木麻黄

恒春というとよく出てくるのが「木麻黄(モクマオウ)」という熱帯植物です。松に似た植物とありますが、松とは直接の関係はないとのことです。
見たことはあるのですが、単に「南国の松」程度だと思っていてまったく意識していませんでした。

恒春に鉄道がつながる日

恒春は人口三万人の小さな町ですが、台南-高雄-屏東-恒春の関係を関西の地名でたとえると、京都-大阪-和歌山-南紀白浜のそれに近いと思います。恒春は少し前に『海角七号(君想う、国境の南)』という映画の舞台で知られるようになり、今ではインスタグラムで「恒春」の語を検索すると南国リゾートを楽しむかたがたの投稿であふれています。

現在、恒春までのアクセスは都市間バスがメインですが、2026年には新左営(高雄)から恒春まで鉄道がつながる予定で、さらに便利になると思います。この頃には新型コロナウイルス感染症も収束しているでしょうか?

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