見出し画像

昭和10年代の台湾-南廻公路のバス旅

潮州を出た自動車は寿峠を越え途中何度かの休憩を取り漸く太平洋を眺め台東に至る。昨日の送別会ではなにゆえかような旅程を組んだのかと相当に嗤われたものであるが、自分は内地には帰りたくないし、どうせならえちらおちらと往くにしくは無しと思い、ヨシ、東台湾巡りでもしてみようと思ったのであるが、車中からつらつら太平洋沿いの平地にへばりつくように建てられた部落を眺めていると、山を距てた向こうの町の噂などついぞ聞くことはなかったことに改めて気づかされる。
 :
観光案内によると知本温泉は台東第一の名湯と云う。どうせ一生行けなくなる場所であるなら一度は入浴したいものであるが、この他花蓮港には玉里温泉、宜蘭には礁渓温泉にポンポン温泉あり、さぞかし美女も多いことだろう。しかし途中屏東台東の中間に聳える大武山谷は山万丈にして谷千仞、前にそびえ尻屁に誘う箱根よりも遥かに険阻であり、そもそも台湾を東西に貫く道路は新らしい南廻道路を除いてはいずれも獣道に毛の生えた程度で、高雄の知り合いからは台東へ迄行くなら船旅の方がましだと忠告されたほどである。

(『昭和庚寅(1940)台湾後山之旅』より)

あけましておめでとうございます。2025年もよろしくお願いいたします。
今日は85年前の話のバス旅の話を書いてみました。

ギリギリ・セーフ!

1940年9月、筆者は前年(1939年)に開通したばかりの楓港台東道という道路を使って屏東から台東方面へ向かっています。

楓港台東道(現在の台9線(旧道なのでぐねぐねしている))

『昭和庚寅台湾東山之旅』の記録が「1940年の秋」に書かれたものであることまでは分かっていたのですが、筆者が楓港台東道を利用していたことと、同年9月30日に台湾南部を直撃した台風の影響で楓港台東道が不通となったことから、移動が行われたのは1940年9月29日以前であると推定できました。

ギリギリ・セーフのバス旅でした。

『内外交通研究』(1942年1月号)より

なお、楓港台東道は1941年11月に復旧し、同年11月5日にはバス路線が開通(もしくは再開)しました。当時の路線時刻表は見つかっておらず詳細は不明ですが、1942年1月発行の専門誌『内外交通研究』によれば、「局線南廻自動車運行の開始」というタイトルで、楓港台東道を走るバス路線の概要や乗車体験記が掲載されています。

この詳細については、国立国会図書館のデジタルアーカイブで確認可能なため、ここでは記述を控えますが、佳冬と台東を結ぶバスは1日2便、所要時間は6時間半。そして乗り心地は非常に悪かったようで、当時の体験報告によると、頑健な人でさえも乗車後にはへとへとになったとのこと。

まるで奈良交通の八木新宮バス路線のようです。

自動車では行けない

南湾の屏東市は糖業と飛行連隊で名を馳せる人口四万の小都市である。高雄より東に僅か二十キロメートルに位置するが、途中下淡水渓という大河がある為自動車で行く事は出来ない。その為総督府は鳳山屏東の間に東洋第一の鉄橋を架け、鉄道を往来させている。

(『昭和36(1940)台湾屏東之旅』より)

当時の台湾では、高雄と屏東をつなぐ下淡水渓などはかなり長大で、当時人や車が渡れる橋はありませんでした。そのため、都市間移動の手段として鉄道が利用されていました。

高雄と屏東の間には「下淡水橋」というアジア最大級の鉄橋があった。
そして、屏東と台東はつながっていない。
屏東の大地

また、台湾西部最大の河川である濁水渓は、その規模の大きさから、かつては台湾が2つの島からなると考えられていたほどで、この河川は架橋が極めて難しく、自動車橋は存在せず、鉄道橋も可能な限り上流に架けられていました。このような状況を打破するため、1937年に台湾総督府は自動車橋である西螺大橋の建設に着手しましたが、戦時中は工事が思うように進まず、戦後、工事の主体は中華民国に移り、1953年になってアメリカの支援を得てようやく完成・開通しました。

当時は自動車による都市間交通は絶望的で、高雄屏東間や濁水渓のほか、花蓮と台東を結ぶ地域に至っては自動車道の整備すらなされていない状況で、「〇〇までドライブ」などという時代ではなかったわけです。

1992年、環島鉄道がようやく開通

一方、屏東・台東間は自動車道はあったものの、鉄道は計画線のみでした。

鉄道敷設計画は日本統治時代からあったのですが、太武山の山脈は急峻すぎて戦後に至っても工事はまったく進みませんでした。結局屏東と台東をつなぐ鉄道が「南廻線」として全通するのは平成に入る1992年。かくして台湾一周鉄道(環島鉄道)が成立の運びとなりました。

台湾一周鉄道・南廻線の路線図

また、日本統治時代から枋山に新駅を設け、台湾南端の恒春まで伸びる鉄道も計画されていたのですが、予算不足で敷設はかなわず、現在に至っています(ただ、2025年現在も調査は行われています)。

最後に、当時の楓港台東道のプロフィールを。

当時の記録から楓港台東道のプロフィールを転載しました。
楓港台東道は現在の屏東県潮州鎮と台東県台東市を結ぶ道路で、グネグネとした山を越え、海沿いを走り、台東市街(当時は町街)に至る道路でした。なお、現在の南廻公路(台9線)は線形をまっすぐにしていて、とても走りやすくなっています。

高雄州 20キロ775メートル
起点 潮州郡枋山庄楓港 東港恒春路43281メートルより分岐
終点 潮州郡蕃地(台東庁界)
経由地 潮州郡 蕃地(ポタンロ社、リウパウ社)

台東庁 86キロ191メートル
起点 台東郡蕃地(高雄州界)
終点 台東郡台東町馬蘭 台東花蓮港路1745メートルに接続
経由地 台東郡 蕃地(アロエ社)、大武庄(大武、大鳥、加津林、加奈美、大竹)、太麻里庄(大渓、多々良、瀧、金崙、南太麻里、香蘭、太麻里、北太麻里)、卑南庄(美和、知本、利家)

いいなと思ったら応援しよう!