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昭和10年代の台湾-秘境・蘭嶼の接吻族

台東の沖には二島あって、総督府は該島への往来を厳禁しているが、フィリピンより渡り着いた全裸蕃人は性温順、島外より客が来れば必ず接吻すると云うのが理由とか。

(『昭和庚寅(1940)台湾後山之旅』より)

秘境本

「秘境本」というジャンルをご存じでしょうか。
第二次世界大戦後の一時期、大陸書房という出版社は、文明化されていない民族の風習をおもしろおかしく紹介した本を多数発行していました。その後だれとはなしにこのシリーズ本を「秘境本」と呼ぶようになったのですが、古い家の書架には『頭の体操』や『ノストラダムスの大予言』といったペーパーバックとともにそのまま残っていることが結構あるようです。
当時のテレビは「すばらしい世界旅行」や「兼高かおる世界の旅」をはじめ旅行番組が流行していました。これらの番組は「文化人類学」という視点から男女の裸や性を取り上げていることが結構あって、子供の頃のわたくしも恥ずかしくなりながら最後まで番組を見た記憶があります。

「秘境本」が売れた背景は、当時の日本人が自由に海外旅行に行けなかったということもあるのでしょうが、だれも知らないことをいいことに、かなり面白おかしく書かれていて、そのあたりが娯楽として受け入れられたのだと思います。

戦前の蘭嶼

蘭嶼は台湾の東沖にある離島です。18世紀頃から「紅頭嶼」「Botel Tobaco」などとよばれ、先住民が生活をいとなんでいました。
なぜこの島に先住民が住んでいたのか。

(鳥居龍藏『台湾呂宋間諸島嶼』図 wikipediaより引用)

この地図を読むと、フィリピンから島伝いに台湾に行こうとするとき、蘭嶼(Botel Tobacoと書かれている島)はその経由地であったことがわかります。台湾先住民は海洋民族が祖先といわれていて、蘭嶼のタオ族は台湾先住民のルーツと考えられている根拠となっています。

この島の民族学的価値は19世紀の日本も認識していて、台湾領有後まもなく、1897(明治30)年にはさっそく調査が行われています。そして、動物学者・多田綱輔が同年にあらわした『紅頭嶼探検記』にはこのようなことが書かれていました。

予等一行は漸くにしてこの中を切り抜け本船の端船に乘り移るや、またも数多の蕃人に取り囲まれ笑うあり叫ぶあり。そのさまあたかも歓喜極まる者のごとく、また予等一行を歓迎するもののごとし。さては赭黒色にしてしかも汗水に汚れたる五体もて遠慮もなく抱き付くものあれば、はなはだしきは接吻せんとする者もあり、五月蠅いやら不気味やら、暫しは暑も忘れ、ただ呆然たるばかりなり。

『紅頭嶼探検記』より

冒頭の記録とまったく同じようなことが言及されていてちょっとびっくりしたのですが、筆者は多田綱輔の記録を読んでいたとは思えませんので、ただの憶測で書いたのだと思います(往来が厳禁されているのに客が来るわけはありませんから)。それでも「接吻」ということばがパワーワードとなって脳裏に攻めたててきます。筆者はこの島のことを「裸族の住むセックス島」のように認識していたのでしょうか。

(wikipediaより引用)

戦後の蘭嶼

この島は、戦後に入りさらに独特な歴史を刻んでいくこととなりますが、これらについては多くの論考が出ていることから、わたくしからの説明は省略したいと思います。

野銀村

ただ、かつてのわたくしは蘭嶼に関心を持ったことがあって、そのきっかけは「秘境本」を読むような関心と大差なかったのですが、この島がどんなところなのかを確認したくなって、実際に足を運んでみたことがあります。

天気が悪いとすぐ飛行機が飛ばなくなるので割と大変でした。日本語はかなり通じましたが、タオ族(当時はヤミ族とよんだ)は肖像権に対する意識が高く、写真を撮ろうとするとすぐにお金を取られます
なおわたくしがそこで見たタオ族は全裸ではなく、接吻もしていませんでしたが、そのかわりこの島で日本製のAVを見た記憶が残っています。

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