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昭和10年代の台湾-鄭成功とコーヒーと
女中は皆派出やかで酒に強く、座敷に屏風があったので虎虎をして遊んだ。千里走るよな藪の中を皆さん覗いてごろうじませ金の鉢巻きタスキ和藤内がエンヤラヤと捕らえし獣はトラトラ…。
1936年5月、筆者は四重渓温泉のお座敷で「虎虎(とらとら)」をして遊んだと書かれていました。虎虎とはお座敷遊びのひとつで、和藤内・虎・和藤内の母親に扮して三すくみ(じゃんけん)をして遊ぶというものです。ちなみに和藤内とは鄭成功をさします。
和藤内こと鄭成功
鄭成功は17世紀前半に長崎で生まれたチャイニーズとジャパニーズのハーフで、中国大陸で明王朝が滅んだのち、台南で「反清復明」を掲げて清王朝に抵抗した英雄として知られています。彼は鄭という姓ですが、明王朝の「朱」という姓を名乗ることを許されていたことから「国姓爺」ともよばれています(ただ、実際は名乗っていなかったようです)。台湾史では「鄭氏政権」として知られていて、現代の台湾人は彼を英雄視していて、とりわけ台南にお住まいの方は、外国人を含めて鄭成功のことをよく知っている印象でした。
ところで、一世代前の日本でも鄭成功は比較的知られている英雄でした。
日本では和藤内とよばれていて、和藤内が滅びかかった明朝を再建するというストーリーの人形浄瑠璃「国性爺合戦」や、冒頭のお座敷芸、そしてちょっと変わったものでは、日本と中国の金魚を交配したワトウナイという大きな金魚があります。語源を考えると、金魚の名前になるほどと思いました。
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現在の台南では鄭成功にあやかった商品が多数売られています。個人的に面白かったのは成功ポテトチップスなるものが受験生のお守りとして売られていたことです。
「一定要成功!!」という中国語は「かならずうまくいく!!」という意味。ポテチ好きな中高生受験生向けのお守りとして狙っているのかもしれません。
「性」なぜ「姓」ではないのか
ところで「国性爺合戦」の「性」なぜ「姓」ではないのか、ずっと疑問に思っていたのですが、その理由を調べてみると、脚本の結末が史実と大きくことなっていたから、あえて「国姓爺の話ではないよ」という意味合いからつけられたのだそうです。
脚本のほうは明王朝の復興で終わるのでいわゆるハッピーエンドなのですが、それでは史実はバッドエンドなのかというと、実はさほどバッドエンドでもないようです。鄭氏政権はその後清王朝に降伏しますが、その後の鄭氏は丁重に扱われていたようで、19世紀末には子孫が「漢軍八旗(満州八旗の漢民族版)」に入っていたことが確認できているそうです(清史稿の原文を読んでいないため、伝聞にしました)。
また、鄭氏のかたわれは江戸時代の長崎で代々通訳としてつとめていて、その後も活躍した方として、明治時代以降に日本で外交官を務めていた鄭永邦氏や、さらにその親族の鄭永慶氏などがおられるそうです。
4月13日はコーヒーの日
後者の鄭永慶氏は上野広小路で日本最初の珈琲店とされる可否(コーヒー)茶館を開業した方で、可否茶館の開業した4月13日は「喫茶店の日」。そういえばこの日にイベントを行っていた喫茶店があり、なんとなく、頭のどこかでなにかがつながったような気がします。ただ、鄭永慶氏の喫茶店事業はうまく行かずに閉業、その後アメリカに渡ったものの、そこで若くして客死してしまいます。鄭氏一族はひとたび時代の濁流にのまれると、波乱万丈の人生を歩む方が多かったようです。
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