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昭和10年代の台湾-ルーローファンの謎
結局今日の外出は近所の小料理屋にて卵丼を食べた位であった。帰りに露店に寄りマンゴーと云う果物を買ったが、馥郁たる香りに甘美な味は正に百果の王と云うに相応しい。…
1936年5月の記録です。筆者は小料理屋で卵丼を食べ、帰りにマンゴーを買ったと書かれています。このときは「ふうん」と思った程度なのですが、台湾の歴史や食文化をよくよく考えていると、この一文からいろんなものが見えてきます。
その1 丼は中国で通じない
実は「丼」という漢字はそもそも中国では通じません。わたくしがまだ若いころの話ですが、「丼」や「天津飯」と言っても中国大陸では通じなかったことがあって、そもそもどんぶり飯という概念が中国に存在しないのかと勝手に思っていたのですが、よくよく考えると「蓋飯」という言葉は存在しますので、存在しないと思っていたのは単にわたくしの勉強不足のようです。
そもそも台湾ではどんぶり飯という概念がいつごろ生まれたのでしょうか。1920年代に蓬莱米(ジャポニカ種)が大量に生産されるようになるまでは、台湾の米といえばパサパサしたインデカ米が一般的でした。インデカ米は焼き飯(このほか、ビーフンにして食べられた)には合うのですが、どうもパサパサしています。そう、丼には合わない食材です。
その2 当時ルーローファンはあったのか?
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台湾飯として有名なルーローファン(北部風に言えば肉そぼろ飯で、南部風に言えば豚の角煮丼)も、実はいつごろ登場したのかは判然としません。わたくしが頼りにしている『台湾風俗誌』にはさまざまな食材や料理について事細かに記載されているのですが、この魅力的な食べ物の話は一切出てきませんので、わたくしは上記の蓬莱米登場後の産物だと思っています。そして1936年の日記に卵丼が出ているので、もしかするとこの時期に登場したものかもしれないと思います。
(ルーローファンは台湾の南北で料理法が異なるのですが、この論考は別の方にお任せしたいと思います。)
その3 マンゴーは赤くない
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あと、筆者はマンゴーも買っています。このときもなんなことなしに「ふうん、マンゴーを食べたんだな、台湾らしいなあ」と思った程度なのですが、あれこれ調べてみると、台湾に真っ赤なアーウィン種がもたらされるのは戦後になってからで、つまり、このとき筆者が食べたマンゴーは小さく青い島マンゴーのほうでした。
当時のマンゴーがどのようなものだったのか、当時の台湾の文化を網羅した百科誌『台湾風俗誌』(1921年発行)から引用します。
檨仔[ソアイアア(マンゴーのこと)] 檨仔はその葉樫の葉に似たり。五六月頃に至れば実成熟す。その大きさ腎臓大にして青黄色なり。皮を剝きてその肉を食す。その味甜酸にして美味芳香あり。またこの果肉を干し又は砂糖漬けとして食す。南部至るところにあり。
『台湾風俗誌』に書かれた「甜酸」と筆者のいう「甘美」では味について若干異なる印象がありますが、当時は果物の糖度が低かった時代で、筆者は台湾フルーツの甘さに魅了されたのだと思っています。
その4 日本のパン食・台湾のショーロンポー
ついでながらショーロンポーの話にも言及したいと思います。
戦後の日本や台湾では食糧不足解消を名目にアメリカから小麦がもたらされました。日本では戦後パン食の文化が生まれましたが、台湾ではショーロンポーとしてよく食べられました。
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実は、真っ赤なマンゴーやショーロンポーの材料となる小麦は、アメリカからもたらされたものです。自分が台湾の食べ物と思っているものは意外とアメリカの影響を受けていた、ということのようです。
日本の食文化でも意外とそういったものがあって、小麦由来や牛肉由来の食べ物についてはえてしてそうではないかと思います。
外国人が日本に来ると必ず食べたがる「牛肉を入れたすき焼き」は、究極的に言えば明治初期の文明開化の産物ですが、外国ではうまく割り下がつくれないので日本の料理として認知された、こういうふうに考えると、頭のなかで割とすっきりします。