見出し画像

昭和10年代の台湾-「せずり」のほうがましだった

盛り場にはエロバーの類あり。夜は小料理屋で切身魚のフライをあてに地酒を飲む。酌をする女は関西弁の日本人で、身の上話を聞いていると、女はもともと兵庫県某村に住んでいたが、夫婦で一旗揚げるべく台東まで来たものの夫はマラリアで死んで仕舞い、自分は台湾に身寄りもなく乞食のような生活をしているのだと云い、自分はこれから内地に帰るのだと云うといたく羨ましがられた。女と ERO するが、しかし自分はうつうつとして愉しまず。せずりのほうがましだったと後悔する。

(『昭和庚寅(1940)台湾後山之旅』より)

EROとせずり

今日紹介する文章は、1940年9月台東の夜の記録です。長くはない文章のなかに激烈な言葉が並んでいました。
この記録には、セックスすることを「EROする」と書いています。内地では少し前までエロ・グロ・ナンセンスの時代で、昭和初期に流行した「ERO」や「SEX」といったアルファベットによる書き回しを筆者は使っていたということだと思います。確かにたとえ私的な日記でも「性交」「交接」は生々しすぎて書きにくいですね。

(台北の置屋跡(右側の建物は文萌楼))

もっともその後の感想はダイレクトで、「自分はうつうつとして愉しまず」というのはともかく、「せずり(せんずり・自慰)のほうがましだった」という感想はあまりにもひどい。

切身魚のフライの正体

また、筆者は台東の小料理屋で切り身魚のフライを食べています。一見ハイカラな料理ですが、なんの魚を食べていたのか、非常に気になります。鯨肉ならクジラと書くでしょうし、とすると筆者が食べていたのは当地名産のカジキマグロかトビウオあたりかもしれません。ただ、これ以上のことはまったくわかりません。
ところで日本各地でマグロが食べられるようになったのは、冷凍による輸送技術が進んでからで、それまでは「すぐに劣化して真っ黒になったからマグロという名がついた」といわれているほどです。わたくしが切身魚のフライの正体をカジキマグロかもしれないと推測したのは、身が腐る前に揚げて食べようとしたからではないか、と勝手に推測しています。

ところで、魚のフライには何をつけていたのでしょうか?
タルタルソースをつけて食べた、と言いたいところなのですが、タルタルソースが登場するのは戦後になってからなので、おそらく酢か醤油かウスターソース、もしくは塩をつけて食べていたのだと思います。

レンブ

ところで全く話は変わりますが、私は二十代前半に台東を旅したことがあります。このときは誰とも遊びませんでしたし(笑)、土地の名物を意識したこともありませんでした(当時の私は台東の名物は何かを全く知りませんでした)が、屋台で食べたレンブ(蓮霧)という果物のことだけはよく覚えています。
「しゃきしゃきした、味のしないリンゴ」という印象で、あまりにも味がしなかったので、先のまったく見えない自身の将来と重ね合わせた記憶があります。

(レンブ)

当時の台湾の文化を網羅した百科誌『台湾風俗誌』(1921年発行)には、レンブはこのように紹介されています。

蓮霧は南部地方に多く五六月頃実を結ぶ。紅白色にして光沢あり。かたちは衡錘(はかりのおもり)のごとく、その味林檎に似たり。成熟過ぐる二三日に至れば果肉中に白蛆を生じ、食うあたわず。

(『台湾風俗誌』より)

どうやらレンブは昔から存在する果物のようですが、筆者の日記にレンブへの言及はありませんでした。そしてこの文章を読んで、日本にレンブが輸入されなかった理由を理解したのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?