4月のドイツ語学習まとめ ー語彙を増強したいけど
4月のドイツ語の学習をまとめる。勉強内容や反省、今後に向けてなど。
ドイツ語の勉強を始めてみたのが、2023年12月16日、フランス語と平行して月に50時間以上を目安に学習密度を固定し始めたのが今年の2月。そう考えると学習を始めてまだ日が浅い。200時間あまりでここまできたのなら上出来とも言えるが、内心今のドイツ語の状態には満足していない。反省は後にして、とりあえずドイツ語がメインの日(フランス語と交代で隔日)にルーティンとしてやっていたことを並べてみる。
順に検討する。
1、ドイツ語吹き替えのアニメ視聴
別の記事でも書いたが、「葬送のフリーレン」というアニメをドイツ語で見るということをルーティンに組み込んだ。
内容理解に努めなくてもいいので、1話(25分くらい)を通して見る。気になったところは字幕で確認して書き写す。このアニメの配信サイトでは、吹き替えと字幕を同時に表示できない上に、CC字幕ではないので両者で若干の違いがあるため、強制的に音声のみで理解しようという気持ちが働く。考えてみれば、これまで利用してきたドイツ語の教材の音声はすべて字幕が表示できるものだったので、音声のみで理解するという作業を怠ってきた。字幕付きの教材は内容理解に役立つし、言っていることを深く理解するために必須だが、「音だけ聞いて理解する能力」が身につかない。人間楽をする方向に流れてしまう以上「耳で聞いて理解するしかない」という環境にもっていかなければ、いつまでも文字を目で追ってしまう。ただし、字幕なしでは内容をじっくり理解できないので、学習としては不向きだ。スクリプトや字幕があることで分かった気にはなれる。少なくとも文字の上では理解できるが「文字で分かった=その文字の音声を理解できた」ではない。音声として理解するためには、その同じ音声を違う文脈で何度も繰り返し聞かなければならない。逆に、音声だけを聞いて「分からないな」と思っていても、翌日同じ音声を聞いたら聞き取れたりする。おそらく「分からないな」と感じているときは「まったく分からない」のではなく、もてる知識を総動員して内容理解に努めている。言葉にできなくても、ポジティブな表現なのかネガティブな表現なのか、悲しいのか嬉しいのか、そういう大雑把な推測を無意識に行っていて「聞き取れない」のレベルに段階があると思われる。アニメを教材として使うメリットは「言葉以外に内容を推測する要素が絵で表現される」ということだ。例えば、怒った顔をしたキャラクターが「A」と言う。このAの意味は分からないが、少なくとも人が怒っているときに用いる表現のようだ、という推測はできる。そして異なる場面でまたAという表現が出てきたときに、その推測を吟味して意味理解を洗練させていく。語感というものの原始的なつかみ方はおおよそこのようなものだろう。普通はAという語を辞書を引いて、相当する訳語を覚えていくのだが、その情報もまたAという意味を理解するひとつの手段に過ぎない。だから「理解した」とは「それを日本語にできる」のではなく「それがどのような使われ方をしているか」を知っているということであり、既知の用法が多様で抽象化されているほど、その言葉を深く理解できているということになる。
小難しい話になってしまったが、(正確な)スクリプトのない音声を使ったアニメを通しての学習は、なかなか効果があるように思う。なにしろモチベーションという意味であまり困らないし、興味をもって内容理解に努められるので自然と継続する。現在は「ひとつの話を7回見たら、次の話に行く」ことにしている。「葬送のフリーレン」は全28話なので、半年以上のスパンでやっていくつもりだ。
ここで「葬送のフリーレン」本編から、少しドイツ語の場面を切り抜き。第三話で、誕生日プレゼントをフェルンに渡すフリーレン、だがフリーレンはフェルンのことを何も知らないと悩み、フェルンが望むものをあげれたかどうかを気にする。それに対してフェルンが言った一言。
文脈を知らないと少し気ごちない日本語に見えてしまうが、フェルンは「フリーレン様はどうしようもないほどに鈍い方のようなので、はっきりと伝えます」と前置きしている。つまり、ストレートな表現で言ったつもりでこのセリフを口にしたのだ。「あなたが私を知ろうとしてくれたこと」という頭でっかちな主語は、場合によっては翻訳調に思えるが、この文脈だと行為の強調に思え、「たまらなく」というちょっとばかり馴染みのない副詞の取り合わせが「どうしようもないほどに鈍い」という前言を仄めかしながら嬉しい気持ちと組み合わさっている。
ドイツ語でも、「あなたが私を知ろうとしてくれたこと」を dass を文頭に置いて表現している。ドイツ語としてはそんなに珍しくない表現のようで、アクセス独和辞典にも、Dass du mir geschreieben hast, hat mich sehr gefreut. 「君が手紙をくれて私はとてもうれしかった」という例文が確認できる。 個人的に気に入っているのが、後半の4語で、machen+人+形容詞は英語と同じで「人を形容詞にする」と訳せるから、「私を考えられないほど幸せにする」が直訳になるが、まず、macht mich で m- の頭韻、mich unglaublich glücklich で -ich の脚韻を踏んでいて、とても心地よくこの4語が響く。unglaublich はアクセス独和辞典を引くと「信じられない、とんでもない」の意味のほかに「とてつもない、ものすごい」という口語的な意味もあり、表面的には「とてつもなく」という意味なのだろうが、日本語の「たまらなく」のニュアンスに寄せると「信じられないほど(鈍い)」を受けた表現とも取ることができて、ここの翻訳は本当にすばらしいと思う。原語を聞いたときに浮かぶイメージにできるだけ近づけようと表現が吟味されている。
2、動詞の三要形の暗記
ドイツ語の文章の読解の際に、動詞が過去形や過去分詞形に変化していたために辞書を引いてしまうことが多くなってきていたので、ここらで基本的な動詞の活用を固めるための勉強をルーティンに組み込んだ。私はアプリの物書堂を辞書に使っているのだが、活用の知識不足で辞書を引いてしまったときに、その語を適当なブックマークフォルダに登録し、その語を別の単語帳アプリに組み込んでいった。ある程度数がたまったら、とりあえず単語帳に追加するのはやめて、毎回の暗記する個数を固定したが、これから覚えるべき不規則動詞のストックはブックマークフォルダにたまっている。一カ月に一回くらいは「棚卸し」をして、もう覚えたなと思った動詞は削除し、その分だけ新しい動詞をフォルダから組み入れようと考えている。今のところ、動詞の活用の暗記を始めたことで目立った上達を感じないが、基礎の基礎であるからこそ、何も考えなくても活用は言えるくらいになるのが当面の目標である。
3、『ドイツ語、もっと先へ!』で和訳練習
何か月か前から取り組んでいる『ドイツ語、もっと先へ!』を今月も進めた。
現在は後半の東大の過去問のセクションにいて、毎回独和問題をひとつ解いている。内容も量もちょうどよいが、解説は全訳だけなので、どうしてこの日本語が当該のドイツ語の表現において許容されるのか、ということについては、自分で考えながらやっていかなければならない。和訳問題に取り組んでいると、自分がいい加減な読み方で理解してきたことがはっきり分かるので、こういう一文一文しっかり構造を押さえた正確な読みの練習も積み上げていけたらと思う。
4、Kurzgesagt
Kurzgesagt は5~10分くらいの長さで自然科学や社会について解説するアニメーションを作っている。
youtube上にある動画のほとんどに字幕がついており、語学学習の教材としてかなり重宝する。動画のクオリティも高くて、扱うテーマは幅広い上に興味深い。とても洗練されているのだが、語学学習に向けての動画ではないので、分野によっては語彙が難しく、今の私のドイツ語ではちょっと厳しいものもあった。とっても良質なテキスト…と感激する一方で、時に健康食品の食べ過ぎで胃もたれしてしまうような感覚に何度かなった。今月勉強に利用した動画のいくつかを紹介する。
最後の人間はいつ生まれるのか?をテーマに人類がこれから先どのような歩みをたどるのかを思考実験した動画。
不満の解消法。あるべき像に囲まれやすくなった現代の環境が不満に拍車をかけてるとも言える。
ユニバーサルベーシックインカムについての動画。私のような人間はどうしてもこの実現に期待してしまう。
10分くらいの動画でも、テキストの語彙を調べて内容を理解しているとひとつの動画に1時間はかかってしまう。内容が優等生なので、語彙も良質だが、やっぱりちょっと背伸びかなという気はしなくもない。
ちなみに kurzgesagt は日本語版のチャンネルもある。語学の勉強としてではなく、純粋に知的好奇心を刺激されるような動画が多いので、外国語を勉強してなくてもおすすめである。
5、動画で発音練習
先述のKurzgesagt の動画のひとつである「孤独」についての動画で発音練習を続けている。
毎回50分くらいをテキストをオーバーラッピングするようにして発音していき、最終的には音源と同じスピードでドイツ語が出てくるようになるのを目指した。口がつっかえたところが聞き取れていない可能性の高いところなので、そこだけ集中的に反復練習をし、どうしても感覚がつかめなければ、youglish という検索したフレーズを youtube上にある動画から探して再生してくれるコーパスサイトで個別で発音を訓練した。この学習もこれまで数カ月くらい取り組んできて、スピードを落とさないとまったく発音できないなんて箇所は少なくなってきたが、ワンフレーズごと完璧になるまで続けるので、なかなか進まない。この動画は10分強あるが、もう一カ月以上同じ動画なので、もう少しスピードを意識してもいいかなと考えている。話す量を増やした方がいいのか、正確な発音のために完コピするまで繰り返し聞いて話した方がいいのか、量と質の綱をどっちに引っ張るべきか、今後の課題だ。最後の10分くらいは、これまでフレーズごとにオーバーラップしてきたところを通しで発音するのだが、その際正確に発音できてなくても、停止ボタンを押さずにどんどん進むようにしている。この方が「やってる感」はあるし、タイパもいいと感じる。ただし、つまづいた所こそが発音上達のために矯正が必要ではないかとも感じる。ただ仮にそこでひとつのフレーズに発音練習を何分かかけて矯正しても、次やるときはまた舌が回らなくなっているので「そのフレーズに触れた経験が絶対的に不足している」ことから話せないフレーズというのが発生しているのかもしれないとも思う。つまり発音の練習が原因ではない。このあたりはなかなか検証が難しいが、経験から言えるのは「今日できなくても続けていれば自然とできるようになる」で、躍起になってピンポイントで発音練習をしなくても、話す量自体を増やせば、話せるようになるのではないかという勝手な仮説を信じている。「意味の分からない語がある日突然理解できるようになる」のと同じ現象かもしれない。もしかしたら認知心理学とかでこのあたりの研究が進められていたりするのかもしれないが、これらは私の主観に過ぎない。
まとめ
今のドイツ語学習は決定的に欠けているものがある。それはドイツ語の本の多読だ。今のレベルで読める本は限られているし、しかもその範囲でとなると自分が興味のある内容のマテリアルがなかなか見つからない。少し前にミヒャエル・エンデの『モモ』に挑戦してみたが、あっけなく挫折してしまった。いかんせん自分の語彙が少なくて、ただの辞書を引く作業になってしまった。語彙を強化するべきだとは分かっているが、単語帳の類に取り組む意欲がないのが悩みの種である。文脈のなかで覚えるのが吉であるから、なるべく多くの語彙に触れるようにするしかない。そのあたりの工夫を今後していきたいところである。
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