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他人をナメて何が悪いの?他人を甘やかして耳の痛いことを言わないのは僕が他人をナメてバカにしているからです!


僕は基本的に他人をナメて生きていて、それが特別悪いことだとは思っていない。

ナメて生きているというと耳触りが悪いけど、「わざわざ利害関係のない関係や自分の人生に介入してこない人に特別厳しくする理由がないから、他人に甘やかしていたほうが自分も心地よい時間を送れると思っている」のだ。

僕が定義する「他人をナメる」は以下の場合である。

①相手がイジめてこなさそうなキャラ(パワハラとか)と思いフレンドリーに接する(やっぱりイジめてくる人はこわいです。でもSな人は好き!)。

②共通の趣味さえ持っていれば仲良くなるキッカケになりそうだからニワカ程度に調べてみる(ニワカでも嬉しがってくれる人かどうかは見る)。

③ウザ絡みをしても許されるキャラかどうかはみる(怒らせたらすぐ謝る。イジりっぱなしでイジられるのが嫌いな奴からは離れる)。

④明らかに相手が自己中な場合、間違ってる論理をたれながしても「そだね〜」「わかる〜」「まあ、わからんでもない」を連発したり、「●●さんってつまりこーゆー気持ちだよね?」と相手の気持ちを整理した言葉をかける。そのほうが平和だから。


僕が基本的にトラブルになるのは③と④である。

③の場合、自分がイジりすぎて怒らせる場合はきわめて少ないが、僕をイジるくせに僕からイジられるのが嫌いでマウントとりたい奴がいる。これは基本ウザいしめんどくさい。「SとM」は攻守交代すべきという考えかたのため③は非常に重要なファクター。

④。これは僕は悪くない。大事なことなので二回言います。僕は悪くない!なぜなら甘やかされるほど僕に見くびられる相手が悪いのである。大体こういう人間は僕に散々甘えきったあと「お前はサービスが足りぬ!」とマジギレしてくる。

もし僕が悪いとしたら、甘やかしすぎていることだろうが。④の場合、適当に甘やかしておく。まあ適当に甘やかしておくから相手を怒らせるのだろうが、それに関してサービスが悪かったとは思っても心の底から悪いとは思えないのは修行が足りないのかもしれない。僕は性格は良くない。

④をなぜするのか?…それは「こいつの認識がショボいな、スキありまくりやんけ。論理がガバガバ。」とか、「自分で言ってることとやってることの整合性、お前まったくとれへんやんけ!」と思ったときにするのだ。そこについてすでに僕は、「あきらめの気持ち」があって、「どうせこいつに言っても通じねーだろうな」、「耳の痛いことを聞き入れる度量はないな」って見透かしちゃってんだよね。

自分だって矛盾だらけの人間なんだから平和のために甘やかしてナメきっておくのは仕方のないことだ。ナメられたくなければそれ相応の努力と態度を見せてこいという話。そのかわり、甘えは許さないけどね。甘えの対価もあれば厳しさの対価もある。対価を支払う意識が必要だとは思っている。

読む人が読めば前のnoteと言ってることが矛盾するように感じるが、それは承知の上である。また、矛盾を踏まえていうと、「基本的に他人をナメて甘やかして生きてはいたいけど、自分の怒りのツボに入ったら、どうにも許せなくなったら言いたいことを言うよ!」という宣言だ。


そういうギアチェンジをしながら生きていくのはこの先もずっと変わらないと思う。怒りと甘やかし、甘えのギアチェンジをしながら今日も僕は好き勝手に生きていく。






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