生きてるね

17歳がもうすぐ終わる。



4月
ゆめばかりみていた。
夢の中で何回も彼に会って、彼は私の欲しい言葉をかけてくれた。人に嫌われる夢もたくさんみて、嫌われたくない自分自身を初めて認識した。
髪を切って、新しい自分になったゆめをみた。下を向くと顔にかかるボブヘアーが、人との距離を作って、切ったことを少し後悔した。
春のやわらかな過ごしやすい空気の中、ずっと汗をかく日々だった。教室の椅子に座ると、椅子と触れ合う太腿の裏がさらさらとして、居心地の悪さに緊張してまた汗をかいた。
友達はできなかった。


5月
彼が言った。新曲の歌詞についての言及だった。
「だってこれ、会ったことないとか、顔も知らない同士とか、声だけで良かったとか、怖い要素が入ってるんですよね。恋愛に発展するには足りない、あれ?この2人の関係ってそんなに、そんなにこう、なんか、構築されてな、なんかねなんか、関係がちゃんとできてないのにすごい重い!みたいなね。まあネットもありますけど、と思ったら、ほら」
リアコ時代の過去の自分を否定されたような気持ちになって苦しくなった。本名も、顔も知らなかったけど本当に好きだったんだよ。声だけで幸せだったよ。
ほら、の先は考えないようにした。


6月
眠れなくなった。
浅い夢を何個もみて、1時間おきに起きて、その夢のどれもに彼が居た。リストカットをした数日後に彼も夢の中で同じことをしていて、なんだか嬉しかったのと、そそられている自分が居たのに嫌になった。
当たり前のことが当たり前にできない自分に慣れてきて、親も、教師も、私も、もう私に諦めていた。
彼のことだけを考えて生きていた。彼を弱く都合のいいように解釈し、何度も彼との死を妄想し、救われた気分になった。


7月
なにもわからなくなった。
人が死ぬ瞬間を、手のひらサイズの媒体で、気持ちで、見ている人がたくさんいて、ひどく怖かった。
「ああ、二発目でいったのね」
父親のその言葉に、どうして。どうしてで頭が埋め尽くされた。


8月
彼とコミュニケーションをした。
人生で一番きもちよかった。彼のこと、私が一番分かっている。本気でそう思った。
私が彼を笑って許すように、彼も自分のこと、当たり前に笑って許してやってほしい。ずっとそう思ってて、だから本当に嬉しかった。
ただいま、おかえり
言ったあとは
いってきます、いってらっしゃい
ちゃんと言わなきゃね


9月
学校に全く行けなくなった。
駅のホームに立つと線路に引っ張られる感じがして怖かった。気づけば足が動いていて、黄色い線を超えた所で我に返る。働かない頭の中、
「死」と「学校に行く」が天秤にかけられる。死ぬか、学校に行くか。なんとなく、死ぬってたぶんよくないことだよなあ。そう思って学校に行くのを辞めた。
当たり前に毎秒毎秒死にたくて、死にたい以外考えられなくなった。面白いくらい涙が出て、起きている間はずっと布団の中で泣いていた。息がしにくく身体が重く微熱が続いた。ああ。これが鬱なのかあ。不登校ってこうやってなるのかあと納得した。
親は学校に行かない私を最初は許さなかったが、エスカレートしていく私の精神状態を見て焦ったのか、そのうち何も言わないようになった。
「真面目に生きなよ」とか言ってきたやつはブロックした。


10月
学校に行かなくなってから数週間が経つと、精神的にだいぶ楽になった。絵を描くようになった。髪を切った。
みんなが下校した後に何度か保健室登校し、カウンセリングを受けた。カウンセラーのおばちゃんは相変わらずやさしくて、私のことを「正直で好きだわ〜」と笑ってくれた。自分に素直に生きていたらこうなってしまったので、大袈裟だけれど人生を肯定された気がして救われた。嬉しかった。
この頃彼は炎上していて、私は初めて彼のことを心底嫌いになった。彼に酷い言葉をたくさん投げてしまった。
ずっと、後悔している。


11月
生きていていいのだろうか。
そんなことばかり考える。同年代は皆、学校に毎日行って、部活をして、塾に行って、家に帰ってお風呂に入って寝ている。私はその何一つ毎日できていないのに。生きてていいのだろうか。生きてちゃだめな人なんて居ない、居ない、自分に言い聞かせてまた眠りに落ちる。
不安はあるけれど回復はしていて、
「表情が明るくなったね」カウンセラーと保健室の先生に変わった、と言われてなんだか恥ずかしかった。髪を切って良かったと思った。


12月
何もしなかった。
ただ生きていた。それだけで十分だと思った。
泣きながら今年もいい一年だった、と言う彼の声を聞いて、生きていて良かったと心底思った。


1月
美術予備校に入学した。
やりたいことというより、自分にはきっと最初から絵しかなかったから。他に絵ほど興味を持てるものもなかった。
いろんな予備校の体験授業を受けて、線路の近くにある予備校に行くことを決めた。フェンスの横を電車が通って、通学路を振り返ると、低いビルの間に夕焼けが見えるのが好きだった。冬は白い月も見える。ぴんく、おれんじ、むらさき、みずいろ、しろ。空の色を呟くと安心する。真っ白なキャンバスと向き合うのは怖いけれど、そこで腹を括る。


2月
彼がODをした。
睡眠薬とステロイド薬。
彼は結局体調不良で、やるはずだったライブは中止になり、別メンバーのワンマンライブに急遽変更になった。
その別メンバーは、緊張とプレッシャーのなか最善を尽くしてくれた。客席を煽り、完璧なファンサをし、完璧にダンスを踊り、歌った。「元気になれよ!ぶっころす!」笑顔でそこに居ない彼に向けてメッセージを放った。
そうやって別メンバーが彼のために頑張っている中、彼はその間ODをして死にたくなっていた。
彼のために動く人達の強さを見たぶん、私は彼の弱さが初めて嫌になった。
けれどしばらく経ってからやっと気がついた。
彼は死にたかったわけじゃない。体調不良を治そうとして焦って彼はODしたのだ。その結果死にたくなったのかもしれないが。ODという行為自体は弱さかもしれない。けれど彼を動かしたものは弱さじゃなくて、何がなんでもステージに立ちたいという、強さだ。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろうか。彼の弱さに、多分私は浮かれていた。OD、という分かりやすい自傷行為に、また私は都合よく解釈をしようとしていた。彼は弱くない。彼は私が思っているより、彼が思っているより、ずっと弱くなんかなかった。
いつになったら私は本当の彼を見れるのだろう


3月
家族旅行に無理矢理連れていかれた。
一人の時間がないとだめな私は、全く楽しめなかった。私以外の家族はまあまあ楽しめているようで、不思議だった。自分と全く関係ない地で教会や建物を回って、楽しめるのが不思議だった。家族に、なんで旅行楽しめるのと聞いたら
「お前は自分の好きなもの以外全部処理しちゃうけど、他の人はそうでもないんだと思うよ」
と核心をつく一言が返ってきて、驚いたのと同時に、他の人が羨ましくなった。
私の世界は、すき、きらい、どうでもいい。この3つに分けられていて、殆どのものがどうでもいいに分類される。もちろん自分も。彼の世界にも私の世界にも交わってないものは至極どうでもよく、だから世の中の大体の出来事に興味を持てない。ニュースも見ない。彼もニュースを頻繁に見る方ではなく、見ていたとしても特に言及しないので、私にとって彼の雑談は居心地が良かった。
どうでもいいの中に、きっとすきが埋もれている。それを分かりながら今日も私はすきなものを見続ける。



17歳がもうすぐ終わる。気づいたら私は大人になる。私まだ中学生の気分なのに。大人になる。

「大人になんてなりたくなかった」と彼はよく言う。けれどその言葉の続きで「大人になるのも悪いことじゃない」と彼はつぶやく。
きっと、何も変わらないんだろう。ときどき大人でいることに嫌になり、そのまたときどき。大人で良かったと思う。そういうのを繰り返して歳をとっていくのだろう。不安は多い。けれど何よりも彼が大人だという事実が、私を勇気づけてくれる。
歳をとって、今の彼の年齢になって、彼のことをもっと知りたい。歳をとるのってきっと悪いことじゃない。彼のことをもっと知れる。
いろんなことに共感できて、いろんなことを許せるようになるかもしれない。
本当の彼を見ることができるかもしれない。
どうでもいいの中のすきを、見つけることができるかもしれない。

今、私、未来を見ている。生きている。だからたぶん、大人になるって悪いことじゃない。大人は未来があることを教えてくれる。

いつか全部が過去になった時、本当の意味で生きれるのかな、とりあえず今は死ぬまで生きたい。私、今日も生きてるよ

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