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おとなでもこどもでもなくってよ

2021-09-12 

 こどもの歯を抜いた。
 私にはまだ乳歯があって、生まれつきその歯の下には大人の歯がないらしい。あってもいずれグラグラして抜けるらしいので、もう抜いてしまおうという話になった。


 抜くときに麻酔をしたのだけれど、それが割と痛くて打ってる間は彼のことをずっと考えていた。あの時の笑顔可愛かったなとか、あの配信の話面白かったなとか、いろいろ思い出そうとしたのに結局何も出てこなかった。肝心な時に使えない私の脳みそいい加減どうにかして欲しい。
 リアコやめたからこんなに何も出てこないのかなとか思ったけど、よく考えてみたら、リアコしてる時もこんな感じだったことに気づいた。2年まえ、学校の持久走の時、苦しさを紛らわそうと彼のことを考えようとしたけど、スーハースーハー呼吸をするのがやっとでそれどころじゃなかったんだっけ。

 「麻酔にアドレナリン入ってるので気をつけてくださいね」と言われて、打ってからすぐに心臓がバクバクし始めた。「ちょっと椅子倒しますね〜」。美人医師が言う。倒れていく椅子。鳴り止まない心臓の鼓動。近づいてくる美人医師。「ちょっとお口開けてください〜」。まずい。これでは私が美人医師に発情していることになってしまう。ドキッ、ドキッ、鼓動が加速していく。まずいぞこれはまずいぞ。
なんてひとりで焦っていて気づいたら、心臓の音がいつものリズムを刻んでいた。危なかった。


 麻酔は本当に苦くて不味かった。コーヒーもピーマンも苦くてあんまり好きじゃないので、麻酔は一生オェッてなるんだろうな。ブラックコーヒーを飲めることが大人なのだしたら、私はずっとコーヒーなんて嫌いなままでいいなと思う。
 大人になんてなりたくないのだから。


 そんなこんなで抜き終わって、美人医師が「この歯、小さいですけど持ち帰ります?」と、私のちっこい乳歯をちょこんと乗っけた白いゴム手袋を差し出しながら聞いてきた。私はこの間別の乳歯を抜いた時に持って帰ったし、その大きさならすぐ失くすだろうと思って断った。
 でもその後すぐに後悔した。10数年私なんかにくっついてくれていた歯なのだ。小さいながらも、ずっと、私と共に歩んできた歯。それに気づいて後悔した。そしてこないだ抜いた時にもらった、家にある乳歯を大切にしようとそのとき心に決めた。


 歯医者の帰り道、ブロッコリーを拾った。
スーパーからの帰りなのだろう。たくさんの食材をママチャリのカゴに詰めた主婦が「ありがとうございます」と私からブロッコリーを受け取った。道端でブロッコリーを拾うなんてそうそうない。キャベツの葉が1枚落ちていたのをみたことはあるけれど、ブロッコリーみたいなメルヘンな形の食べ物を拾えたことに不思議な気持ちになった。
 あのブロッコリーで何を作るのだろう。サラダ?スープにいれるのかな、それともふつうにただ茹でるだけなのかな。ブロッコリーで救えた命はないけれど、ブロッコリーで救えた料理と笑顔はあっただろうな。そう思うと誇らしくなった。





 ぶらぶらと歩きながら頭の中で言葉を並べていく。今日は何を書こうか。ほんの少しの希望をもって帰り道を歩く。やっぱり文を書くって面白い。言葉で生活が満たされていく。明日も言葉が溢れた一日を過ごせるといいな。

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