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推し、燃ゆ を読んだ。

2021-10-14

 全身にビリリと衝動が走った。
 ライブのあの振動、汗、反響する声、やけに大きいバンドの音、ペンライトの鮮やかさ、声、声、笑顔、片方だけ上がる口角、ふざけたじゃれ合い、ジャンプして飛び散る汗、張り付く前髪、血管、毛、スポットライトで余計白い肌、細い指、汗、銀歯、笑顔、笑顔、えがお、ぜんぶ思い出した。
 彼。
 愛おしくて守りたくて最強の可愛い。

 今朝、駅のトイレで手の甲に作った噛み跡が、表紙のぴんくとおそろいだった。私はたぶんこの子だった。





 緩やかな平日の朝。いつもと同じように聲の形のサントラを流す。周りの雑音が音楽になっていく。きれいに彩られて、私の世界に包み込まれていく。
 焦りはあった。いつもあった。どうしよう、そればかりで、お腹がコポコポと鳴いた。吐く、そう思ってトイレに駆け込んだけれど、出てくるのは唾液ばかりだった。
 最寄駅のトイレでしばらくそうしていた。頭の中がおかしくなりそうだった、いやおかしかった、自分の内側にある全ての感情を脳が吐け、吐け、と指令してくる。イヤホンから流れ出る穏やかなサントラ、トイレの流水音、駅のアナウンス、全部が脳の奥の奥に襲いかかってきてぐわんぐわん、私の脳味噌は揺れた。揺れた衝動からか脳内に映像が流れ始める。あの日見た夢、ドラマの一部、アニメのデフォルメ化された声が私を襲う。普段何気なく見ていたCMの音、電車で流れている映像、くるっくるーぽっぽー、くるっくるーぽっぽー、くるっくるーぽっぽー、
 呼吸が乱れる。人の足音がやけに近くに聞こえる。音の距離感がバグっている、映像が次々と切り替わる、同時再生だけはやめてくれ、どこかの自分がそう問いても私の脳は聞いてくれない。助けを呼ぼう、そう声が聞こえてきた。ぼやけた視界の中必死に四角い板に触れる。変換をしている余裕はなかった。自分がうった字を一回読み直して、友人にSOSを送る。友人から即座に返信が返ってきた。「深呼吸しろ」短い文だった。呼吸を忘れていたことに気づいた。吐け、吐け、吐け、吐くことだけを考えた。吸ったら情報量の多さに脳味噌が破裂してしまいそうだった。吐く、吐く、吐いた息があったかくてマスクの内側に籠ってまた気持ち悪くなる、ただ吐いた。内の内にある感情を映像を音を吐き続けた。
 吐き続けてしばらく、残ったのは学校をサボろう、ということだけだった。





 あの子を思い出した。昨日学校で話しかけてくれたあの子。
 私と同じで、絵を描くあの子。
 1学期の終わり、その子は学校にあまり来なくなっていた。私はなぜかそんな彼女に親近感を覚えてしまっていた。

 でもある日、隣の席の男子が出席確認のあと、なにげなく言ったのだ。
 「あいつが休んでるのって、コンクールに出すための絵描いてるからなんでしょー?なんかそういうサイノウ、羨ましいわ〜」
 あ、
 そう思った。
 ああ、そうだったのか。
 黒とムラサキが、おなかの辺りからじわじわと喉を這い上がっていった。
 ああ、あの子は私じゃないんだ。
 救われたかった。どうしようもない私を肯定してくれる、どうしようもない存在が欲しかった。でも彼女は私と全然似ていなかった。私だけがどうしようもない人間だった。

 昨日の進路指導の後、彼女は私に「もしかして芸術系の大学行くの?そうだったら、一緒にがんばろうね!」と笑顔で言った。私は普通の大学に行きたいんだと嘘を吐いた。きっと、そういうところなのだと思う。私が彼女になれない理由。
 そう思うけれど、私は私にしかなれなくて、彼女は彼女にしかなれなくて、でもそんなこととっくに分かっている。

 あの子が封筒を担任の先生に渡すところをみた。ぴんくの封筒。うっすら見えた、「診断書」の文字。その文字に羨ましい、と思ってしまった自分に気づいて馬鹿馬鹿しい、と自己嫌悪した。




 ぴんくにも水色にもなれない私は、この子でもなくて、私として以外で生きる術がない。人生、の重みを大人になるにつれて実感していって、大人になった時にはもう潰れてしまいそうだ。私はもう少し、背骨に頼らないと駄目みたいだ。私はこの子ではないのだから。

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