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推しは鎮痛剤


私が今の推し(一応推しと言っておく)に出会ったのは、4年前の冬。ちょうど私の精神が死んでいた時期だ。
彼の歌動画を偶然YouTubeでみつけて、衝撃を受けた。

こんなにも優しく歌を歌う人がいるのか!
こんなにも優しい人がこの世界にいるのか!

彼の歌声を聴いて、ボロボロ泣いた。泣きまくった。バターがフライパンの上で溶けるみたいに、じんわりと心があったかくなっていくのが分かった。
それからずっと、彼は私の鎮痛剤だ。



死にたくなったら彼の声がききたくなった。彼の歌を毎日聴いて、泣いて、それがストレス解消になっていた。一日中彼のことを考えて、彼のことで悩んで、彼が私の居場所だった。

日常のストレスは全部、彼への怒りに変換した。私の彼への怒りは、ツイートでもしなければ彼には届かなくて、誰も傷つけないから。
彼のことで頭をいっぱいにして、嫌なことから逃げ続けた。




でも、ある時彼のことを考えすぎて頭がおかしくなった。鎮痛剤、とりすぎた。ODみたいなことをしてしまった。
彼の歌を聴いて癒されていたのに、私は辛くなるようになった。彼に会いたくて会いたくて仕方がなくなって、病んだ。ヘラった。ここまでいったらもう私はリアコだった。

自分がリアコだということを自覚したら余計、彼のことが狂おしいほどに愛おしくみえた。
私の彼への好きの気持ちは、どんどん歪んでいった。



 私の知らない彼がいることが嫌だった。彼については何でも知っていたかった。
だから彼のスケジュールは、手帳に自分の予定よりも大きく書いたし、彼の発言は常にメモにまとめた。
 そんなこんなで「彼のことが好き?」と問われたら、悩んでしまうくらいまでリアコを拗らせた。好きか嫌いなのかももうよく分からない。今はもう惰性で彼をみている所もある。


でも、これだけは確かだ。わたしは彼の歌声が好きだ。彼自身を嫌いになっても、歌声を嫌いになることはない。
これだけは確かであってくれ。せめて。




当たり前だけどリアコ苦しすぎる。やめたい。でも、私から彼を取ったら何も残らない気がする。そう考えると、このままで良いのかもしれないと思った。辛いけど。



私は彼から逃れられなくて、何よりそうしてるのは私自身で、それを気持ちいいと思ってしまうのは本当にどうかしている。

変わりたいと思いながら今日も彼の声を聴く。彼の歌を聴いてる間は、変われないとわかっているのに。




鎮痛剤は常備薬になってODをしたら後遺症が残ってしまったとさ。それだけのことなんです。おしまいおしまいリアコなんてなっていいことない純粋にただ好きでいたかった、だよ



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