800日目の25時
かしこま!あたし、黒主零!小学22年生!!
今日はニーゴイベントについて語りますよー。
ちなみに800日目なのはヴァンガードZEROのログイン日数です。
前回のニーゴ記事から5か月ぶりくらいですか。戒めとしていつまでもトップに残してるけどあの時の感情は心のどこかにしまってあります。
まったく、いい年した野郎の分際で女子高校生たちの青春にどこまでも己の悔恨やら未練やらをどうしようもないほどほじられまくってぐつぐつしてるぜ、へそ下あたりがなぁ!!あと今気づいたけどノートの仕様がOneNoteぽくなってるな。使いやすくなった。これまでメモ帳で書いてからコピペしてたし。
ってなわけで今回はどっきりウフフな絵名xまふゆのお泊り会となっています。……全く陽気なイベントじゃないけど。まあ、陰気でもない。
プロセカにおけるネガティブ担当と言ってもいいニーゴ。そのネガティブの始まりと言っていい存在・まふゆ。ニーゴの中で最もポジティブで、一番問題が解決しつつある絵名。いつもぶつかり合ってる二人が一緒に夜を過ごすというお話。……まあ、内容関係なくニーゴイベントなら速攻で周回するんだけど。
すべてを親に支配されているまふゆ。ぶっちゃけ知り合いにほぼ同じ境遇の野郎がいるのでなんとなく感覚は理解できる。
一方で親に夢を支配され、その支配から抜け出せた絵名。自立……とはまだ言えないのかもしれないけど日々ひたむきなその姿勢はサラリーマンの自分にもまぶしいほどです。自分で自分を信じ切れていないからこそやりたいことでも大事な場面で立ち止まってしまうか、力を出し切れなくなる。即ち迷いが生まれてしまう。そんな人間に対して一番きついのは肯定でもなく否定でもなく疑問です。
存在意義、やりたいこと、その源がしっかりしていれば足が崩されることはないが、最も大事な根底である己自身が信じられていなければ何をしても結果はゼロなのです。
どんな成功も助力も己の実力、人徳……だなんて口が裂けても言えない捻くれた人格が完成するだけ。それを踏まえればきちんと自分自身で疑問してその答えを用意でき、あまつさえそのための行動を自発的に出来るえななんがマジでまぶしいわけです。
一方でまふゆ。親が異常であると流石にわかりつつあり、それに従う自分にも忘れていた痛みを感じられるほどには限界がきているようにも見える。
……そしてまふゆやら絵名やらが異常だと言えば言うほどなぜかそうは見えなくなってくるもっと異常な奴もここにいます。壊れた自己肯定なんだろうなぁ。
さて、ニーゴイベントを初めて見た時から思っていたがまふゆ同様の後ろ暗さめたさ痛さがある瑞希や奏では恐らくまふゆを救えない。まふゆを救うことができるのは絵名なんじゃないかという気持ちがここ最近強くなってきている。そして救われたまふゆが奏を救いに行く逆シンデレラストーリーなんじゃないかなぁと予想。いい意味で裏切ってほしいけど。
自分が何をしたいのかをはっきりと言えること。きっとそれが一番大事なことで、最初の一歩なのでしょう。
……言っていたのに気づかなかったとしたらそれは非常に残念なことだったんだろう。「遅すぎることなんて本当は1つもないさ」?「光さえ見失ってさまよって」る内は誰にも無理な話だ。
追伸。やっぱニーゴは描写されてないだけでなくお泊り会とかそういうイベントは一切なかったんだなと。瑞希のその辺とかやっぱり描く気ないのかなぁ……。
総括。10年ぶりくらいに聞いてみて
「この曲、絵名によく合うな。あれ、歌ってる人絵名の中の人!?」
って思ったけど別人でした。