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キミの顔

はい。プロセカ瑞希イベント3本目の記事となります。
人生の価値観アップデートされすぎだろと思う日々、しかし一度ブッ刺さった衝撃が消えないどころかどんどん重くのしかかってくるそんな一週間です。

今回は瑞希イベント第7話「キミの顔」について語りたいと思います。
相変わらずネタバレには配慮しないので踏みたくない人は閉じてくださいな。
……しかし、今回のイベントは7話と8話がほぼ全てってくらい衝撃強い中よくそれ以外のシナリオも普通に書けて声優さん達も普通に演技できたな。


皆大好き大嫌いなこのシーン。
絵名は今まで1年以上一緒だった瑞希の秘密を思いもよらないところで聞いてしまい、衝撃を受けた状態で瑞希を振り返ってしまい、その顔を瑞希に見られ、
瑞希は意を決してついに秘密を話そうとしたところで先を越されてしまい、他人の口から自分の秘密を絵名に知られてしまい、その上で上記の絵名の顔を見たことで絶望。その顔も絵名に見られより絶望を深めてしまい、瑞希は逃走。絵名はどんな言葉を掛ければいいのか分からない状態でありながらも瑞希の顔を思い出し、何とか追い掛けるが結局まともに言葉を話すことも出来ずに瑞希は走り去っていき、悔恨の念を込めて絵名が崩れ落ちるという結末。

この時に絵名に瑞希の秘密を話してしまったのが男子A。他に二人男子がいて、文化祭直後と言うこともあって変なテンションになってしまいBが止めるのも聞かずに絵名に話し続けるA。
Aの失言を何とか黙らせようとするB。
口数は少ないがAと同じような発言をしては、絵名が瑞希の秘密を知らない可能性を察すると押し黙ったC。
当然ネットではAに対する批判が多い。そりゃ当たり前だ。てか絵名がいなくてもするべきではない内容だ。
しかし、Aは以下の条件を持っている。
1.瑞希の秘密は校内では隠されていないし、瑞希本人が話したためほぼ公然であること
2.絵名が事前に瑞希とは付き合いが長いと告げていること。その絵名も同じ学校の生徒であること
以上2点からAだけでなくCも(たぶんBも)絵名が瑞希の秘密を知らないとは思っていなかった。
もちろんだからといって笑い話として秘密を話してしまうのは良くないことだ。
ただ、本人も絵名がその秘密を知らない様子なのを察すると、焦燥して知らないなんて思わなかったと告げている。
瑞希自体がその状態で1年以上学校生活を続けているし、内心傷ついてはいる物の気にしていない様子をクラスメイトなどには見せているため、瑞希の苦しみを知らない。
Aは冗談だと笑いながら語っていた。これは間違いなく反省すべき点である。しかし、流石に今回の話からすると、絵名と瑞希にこの結末を届けるために用意された必要悪となるため、同情できる点もある。

ここまではTwitterを見れば他にも何人か話している人はいた。
しかし、その返信コメントでは結果ではなくデリカシーのかけらもない発言そのものが問題だという声が多かった。
「ただの感情論か?」と思いながらも他に何かこうなっても仕方がなかった瑞希や絵名の落ち度を探していく内にふとある点に気付いた。

「自分はどうして男子Aを庇おうとしているんだろう?」

通勤中ずっと考えた結果、思い至ったのが今回の話す内容。
7話のサブタイ「キミの顔」
今回登場した3人の男子はモブ故にイラストは用意されていない。
即ち「顔」が見えない。
モブだから当たり前だ。だが、ふと車窓を眺めていると自分自身の顔と目が合った。
そして何処の世界でもない初音ミクがプレイヤーを指す二人称は「キミ」。つまり、3人の男子の顔はプレイヤーそれぞれ自身の顔なのではないか。

どんな人間でも完璧ではないのだから責めてはいけないとAを庇う顔
絵名の様子を見るまではAと一緒に楽しそうに笑っていたCの顔
AとBを止めていたとは言え全くの他人ではないBの顔

自分がもしそこにいたらどういう言動を取るか、プレイヤー自身を映したのではないかと言う考えに至った。
そこからはもう最悪だった。

衝撃的な内容だからと何度も何度も今回のイベントの特に7話と8話を見返したこと、
その続きが見たくて、何万も課金して瑞希と絵名を当てるためガチャを回し続けたこと、
結局別端末用意してリセマラすることでそれぞれのキャラを手に入れ、キャラスト見て「結局8話の続きはないのか」と落胆したこと
Aと同じように瑞希や絵名にも落ち度はあったのだと理論武装していたこと
プロフィールで性別欄が「?」だから最初から瑞希に興味を持ってプロセカを始めてニーゴのシナリオばかりを追って「刺さるわぁ」などと4年間言い続けてきたこと

やってることは全て男子Aと同じかもっとひどい。
そんな男子Aを必要悪などと評するわ、きっと未来にまで後悔するんだろうな可哀想だななどと憐憫するわ、早く続きを見せて欲しいなとより酷い未来を期待するわ、
男子Aを批判する声を庇うのは過去の自分の振るまいを少しでも正当化したいからではないかと妄想するわ。

そこから先、一日中自己嫌悪が続いていた。
何をやろうとしても、自分が今からやろうとしていることは誰かに言われた仕事だからと言って他の誰かを傷つけてしまうかも知れないと迷いが生れる。
ちょうど同じ現場に仕事が出来ない同僚がいて、昨日まではその人が説教されているのを「またやってるよ」みたいな感じで笑っていたが、それを思い出しては今日はトイレに走る。
そして、そんな自分を少しでも慰めたいからとこんな記事を書いている。

ただ一つだけ。自分を慰めたいとかでなく最初から思っている事がある。
それは、「奏も、まふゆも、絵名も、瑞希もちゃんとハッピーエンドを迎えて欲しい」と言う願いだ。
後悔のない人間はいない。間違いを犯さない人間もいない。
自分の過去は許されたいが、同時に他人の未来は救ってやりたいと思う。
人は皆、許されたい過去を持ちながら純粋に誰かを救いたい未来を待ち続けるのだと今日、感じて少しだけ気分は楽になった。

総括!これまで出会いと別れを繰り返してきた全ての人達に謝罪したいです。それが自己満足だとしてもそれで終わらないように。
その場は偽善の自己満足に終わってしまったとしても誰かがそれを繋ぎ、本当に誰かを救う未来を望むがために。