古代のカミを求めて③-上
さて、四月二十三日(月)またあちこちに出掛けてみた。
熱田神宮
御祭神は天照大神(アマテラス)
その他、素盞嗚尊(スサノオノミコト)、日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)など五柱。
春もたけなわな四月の熱田神宮は、様々な神社が集合していて 歩いているだけでとても楽しかった。
アマテラス、とは日本神話に出てくる最上神で、アマテラスといえば伊勢神宮に祀られているのではないか?と思う人もいることだろう。さて、神社に祀られている神なのだが、分霊という概念がある。「分霊(ぶんれい、わけみたま)とは、神道の用語で、本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けたものを指す。(Wikipediaより)」つまり、神様は分裂してもその力を失わない、ということである。
最初、私は熱田神宮に祀られている天照大神はこれかと思っていたのだが、ちょっと違うようで、正式には熱田大神となっている。どういうことかと言うと、また概念の話になるが 依代(よりしろ)という概念がある。これは神が宿るモノの事で、それは例えば大きな岩であったり、大きな木であったり、刀であったり、鏡であったり、様々である。
伊勢神宮の天照大神は鏡にやどっている。なんの鏡かといえばそれは三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)である。
対して、熱田神宮の天照大神は刀にやどっている。そう、草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。これが祀られているので、天照大神 又は熱田大神は同一でありながら依代により別けられているのかと思う。
さて、今回は熱田神宮に混ぜながら古代信仰の話もしていこうと思う。少し長くなると思うので、何回かに分けるかもしれない。また、ゆっくり読んで頂けると嬉しく思います。
本殿へ向かい、「勉強させていただきます」と挨拶をした後に、私は本殿への道へ展示してあるパネルを見つめていた。古代から現在に至るまでの大まかな流れがそこには書いてあり、なかなか面白く拝見させて頂いた。その中にこんな文章があった。
私が注目してほしいのは、最後の方に記してある「農は我が国の基である」の所である。
農、というのは稲作の事で、それが基礎、基本、である、というのは それはそうだ、としか言いようがないのだが、他の面から見てみると少し意味を含んだ言葉なのだ。
そもそも、私達の祖先というものは稲作をしていなかった。何をしていたかというと、狩りである。日本の原住民と言えばどういう民族を思い浮かべるか。アイヌ民族、と答える人はどれ位いてくれるだろうか。彼らは狩猟をし、同じ日本人でありながら住むところや狩場を奪われた、実に悲しい民族である。しかし、このアイヌ民族が日本における先住、原住民であることはあまりにも私達から消え去り、忘れられている。
アイヌ民族といえば北海道の方だと思うが、アイヌ民族に性質が近い民族は本土、もしくはあちこちに存在していたと思う。それが何故消えたのか、何故忘れられているのか、何故農耕と関係しているのか、長くなったので一回切りたいと思う。次はその関係について詳しく記載していきたい。