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瞑想日記㉒【冬至の伊勢は太陽と月と神が一体となる】

noteに投稿する時間がなく、2か月ぶりになってしまいました。

この2か月は、ZEROマインドワークショップin高山⇒宮古島⇒東京⇒伊豆⇒ゼロになるリトリートin京都⇒長野安曇野⇒伊勢と移動ばかりで、まったくnoteが書けずにいましたが、少し落ち着いてきたのでまた読んでいて面白いと思っていただけるような記事を書けたらと思います。

22日冬至は、伊勢神宮内宮に参拝するため、20日から23日まで3泊4日かけて伊勢参りに行きました。

実は、冬至辺りの伊勢はとても特別な場所になります。

冬至辺りの伊勢は、太陽・月・地球の繋がりが設計されていて、
二見浦にある夫婦岩のちょうど真ん中からはオレンジ色の月が昇り、
内宮の宇治橋の鳥居の真ん中からは太陽が昇るという、
言い過ぎかもしれませんが、
太陽と月と神が一つなったかのようでした。

二見浦の夫婦岩の月は、ちょうど夫婦岩の間に月光のラインが通り、その構図は闇と光の境界線が無くなるような美しさに満たされて、見ている心に陰の神氣が流れ込んできます。

20日の夜に夫婦岩の間から登った月と光のライン


そして、内宮の宇治橋の鳥居の真ん中からのぼる太陽は、本当に目も当てれないくらい眩しく、太陽は何故かとても近く感じ、それまでの世界が一変するような陽の神氣に満たされていきます。

鳥居の真ん中から昇る太陽の輝き


多分ですが、鳥居の真ん中から昇る太陽からの光は、実際の太陽の光だけではなく、自分の心の中の光を見させてくれるような構図になっていると感じました。


私たちは世界を見ているようで、実は全て心の中を見ていると私は認識しています。

それが、普段は曖昧なのですが、聖地や冬至などの天体のタイミングは明らかに、自分の心の中を見て感動しているのだと思います。

その自分の心を見させてくれる働きを感じた力の一つに、伊勢参りの参拝順というのがあったように今回は実感しました。

今までも伊勢には何度かご縁で行かせていただいていたのですが、
今回が今までと違ったのは、伊勢参りの参拝順というのを大切にしながら冬至の内宮参拝に向けていきました。


参拝順とは、大きく分けて二見浦⇒外宮⇒内宮という順序があります。

二見浦でまず禊をして、
その後、「外宮先祭(げぐうせんさい)」といわれている、
神宮の祭儀は外宮の豊受大御神(とようけのおおみかみ)が先に行われ、
内宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)がその後に行われる順序にならい、
外宮、そして内宮の順で参拝するという方法です。


外宮と内宮の中でも参拝する順序があり、また外宮から内宮の間にも、別宮を参拝してから内宮を参拝するという形があるようです。


私の中では今までの伊勢神宮は限られた時間で参拝していたので、きちんと参拝順というものを意識していなかったのですが、
今回は4日間あるので、二見浦⇒外宮⇒内宮だけではなく、
外宮と内宮の中での参拝順序や、外宮から内宮の間の別宮の参拝順序もきちんと辿りながら参拝してきました。


「外宮先祭(げぐうせんさい)」は知っていましたが、さらに細かな参拝順が色々とあることは全く知らずにいたので、
この参拝順を意識して参ると本当に一日では全く時間が足りないのですが、今回、私は4日間かけたことで初めて参拝順を辿りながら伊勢参りを行うことができました。


辿った参拝順は、若干、順序が他の情報と異なっていることもあるかもしれませんが、神宮のHPや知りえた情報から順番を辿ると、

二見浦、夫婦岩からの月の出
⇒二見浦からの朝日
⇒二見興玉神社・天の岩戸・龍宮社
⇒外宮・御正宮(神域に入り参拝できる特別参拝)
⇒外宮・三石
⇒外宮別宮・多賀宮
⇒外宮別宮・土宮
⇒外宮別宮・風宮
⇒外宮別宮・月夜見宮
⇒内宮別宮・倭姫宮
⇒内宮別宮・月読宮
⇒猿田彦神社・佐瑠女神社
⇒内宮・宇治橋
⇒内宮・瀧祭神
⇒内宮・御正宮(神域に入り参拝できる特別参拝)
⇒内宮・御稲御倉
⇒内宮別宮・荒祭宮
⇒内宮・四至神
⇒内宮別宮・風日祈宮
⇒内宮・子安神社・大山祇神社

と名前だけだと何が何かわからないかもしれませんが、この参拝順を意識して参りました。


まだ行けなかった所もあるのですが、
今までのように何気なく好きなように参るのではなく、参拝順を意識して参ると、
今まで点でしか捉えてなかった伊勢参りが線となり、そして立体に浮き上り、日に日に伊勢全体が幾何学に結ばれた一つの聖地・神社であるように感覚が変わってきました。


特に外宮や内宮の中での参拝順は、印を結ぶような順番で、
また外宮から内宮までの間に別宮を参ることにより、
内宮への宇治橋を渡る時の神聖さが全く違う感覚へと導かれていきました。


このように参拝順をたどると、自分でもびっくりしたのですが、
一つ一つの神氣がきちんと繋がっていって、二見浦からの内宮まで全体を通して天照大御神という神様と初めて対面できたように感じました。


これは本当に個人的な感想ですが、この参拝順からの天照大御神とは、
カリスマのような個ではなく、全ては繋がっているという全体を表したエネルギーのように感じられました。


実は、私自身は今まであまり天照大御神という神様にはそこまで惹かれていなく、、
どちらかというと、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や国常立尊(くにのとこたちのみこと)という神様にご縁を感じていました。


そのため、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をお祀りしている岐阜県高賀神社(こうかじんじゃ)や
国常立尊(くにのとこたちのみこと)をお祀りしている奈良県玉置神社(たまきじんじゃ)によくお参りしていました。

そして、高賀神社や玉置神社は、自分の本質に迫るエネルギーが降ろされた場所のように感じていました。


しかし、この伊勢の参拝順から感じた天照大御神の力とは、
「この世界は一人では存在できず、必ず周りの人の人生や様々な命と重なり合うことによって成り立っている。
だから、この世界では、周り人の人生や様々な命の幸せを祈ることが自分の幸せになる」

というとても利他の心に溢れるエネルギーのようでした。


このエネルギーは内宮の参拝だけだと私自身は気づかなかった天照大御神の姿で、
それは「木を見て森を見ず」の言葉のように、
「自分だけの事にとらわれていては、幸せの本質はみえない」と教えられているようで、
「森を見る」ことこそ天照大御神のお姿のようでした。


伊勢の数々の神社が、利己ではなく利他の氣で満ちていることは、
2000年前にこの地に天照大御神が祀られた時から脈々と続いている日本人の祖先の祈りであり、
それだけでなく、今現在でも天皇が世界や日本国民の幸せを祈る特別な場所でもあるからだと思います。


また、それは天照大御神の名の通り、太陽信仰に表された精神性で、
「太陽という存在は地球の全ての生命全体のために輝いている」
その利他の働きこそ私たちが手を合している天照大御神の御心だと実感しました。


今年、大峯山に登った時から、利他の心が自分のテーマなのですが、

2022年からは、貢献や利他という精神へと自分の人生をお使いくださいと、おこがましくもそんな祈りを重ねた4日間の伊勢参りでした。


もし、時間がとれたら皆さんも一度、参拝順で伊勢参りを参ってみていただけたらと思います。

古(いにしえ)から残されてきた参拝順は、きっと2000年前の伊勢にタイムスリップしたような、自然と利他の心に導かれていく伊勢参りになるのではないかなと思います。

21日の二見浦からの朝日
朝日に赤く染まる夫婦岩


外宮
外宮・御正宮。白い布の奥で参拝できるのが特別参拝。
式年遷宮により、建て替えられる時の場




外宮別宮・月夜見宮
内宮別宮・倭姫宮
内宮別宮・月読宮
猿田彦神社
冬至の朝日が昇るのを待つ人たち
23日の鳥居の真ん中から昇った朝日


内宮・御正宮


内宮別宮・荒祭宮
4日間の伊勢参りで彩雲にも出会えました


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