麻雀AIは人間を超えるか【コラム】
シンギュラリティとは
ここのところ、科学の世界ではシンギュラリティという言葉が話題になっている。
シンギュラリティを日本語に言い直すと「技術的特異点」であり、AI(人工知能)が人類を超える瞬間のことを指す。
シンギュラリティは訪れるのか、訪れないのか。
訪れるとしたら何年後なのか。
そして訪れたら人類の生活にどんな変化が起きるのか。
このような議論が活発に行われているわけだ。
囲碁やチェス、将棋の世界でもAIが人間のトッププレイヤーに勝ち、今では人間がソフト(AI)から学ぶのが普通だという。
>AIを用いて研究をする、そして中終盤はある程度高い精度で指すことが今活躍するために求められる条件なので、そこはみな共通項になっています。
(渡辺明名人のインタビューより)
こうしてAIが人間に勝つ度に人々は色めきだつ。
シンギュラリティが訪れる日は遠くないのでは…と。
仮にシンギュラリティが訪れたらどうなるのだろう。
映画などで、知識を持ったAIが人類を襲う、というストーリーはよくある設定だ。手塚治虫のマンガにもありそう。
何やら恐ろしいことが起こりそうだ。
しかし、AI研究の最前線で活動する研究者たちはシンギュラリティを真っ向から否定する。
この本が面白かった。
長年AI研究を続けてきた著者は、AIはただの計算機であり、それ以上でもそれ以下でもないという。
AIは計算機
AIは、与えられた枠組みの中での計算・処理は速いし正確だが、自立的に考えたり、感情を持ったり、ましてや人類を襲うことなんてありえない。
襲うとしたら「人類を襲う」というプログラムを誰かが組み、そのスイッチを誰かが押したときだけだ。
AIは、将棋やチェスで人間に勝てても、驚くほど簡単なことができなかったりする。
たとえば、写真の中からイチゴがどこに何個あるか、という作業は人間ならすぐにできそうだ。フェイクとして、ニンジンやトマトが混じっていても間違えないだろう。
しかし、AIにこれをやらせるには、まずイチゴのサンプルデータ(教師データという)を何万も読み込ませる必要がある。
その上で一致するかを1つずつ照らし合わせていくわけだ。
また、AIは言語に滅法弱い。
例えばsiriやOKGoogleで「近くの雀荘を教えて!」と言えば、近くの雀荘が表示されるだろう。次に「近くの点5の雀荘を教えて!」と言ったときに表示されるのは、さっき表示された雀荘と全く同じ雀荘が紹介される。
「近くの点5の雀荘を教えて!」と言った時に、ウェブ上の雀荘のデータの中に点5というデータは入っていないため、結局「近く」と「雀荘」しか参照してくれない。
気を利かせてゲーム代からレートを推測してくれるようなこともしてくれない。
枠組みの中でしか活動できないとはこういうことだ。
「太郎は花子が好き」
「花子は太郎が好き」
2つの文章はまったく意味が違うが、AIはこれを理解するのも大変だという。パーツとしては「太郎」「花子」「好き」と揃っているものの、「は」や「が」などの接続詞がそれぞれのパーツをどう結んでいるのかという判断が苦手だという。
言語が苦手ということは、得意分野であるはずの数学にも支障をきたしてしまう。
長さ230mの列車が秒速15mで上り方向に、長さ250mの列車が秒速17mで下り方向に進んでいます。互いの列車が出会ってから、すれ違い終わるまでに何秒かかるでしょう。
この問題、計算方法は分からずとも、問題の意味は伝わってくるじゃん?
電車が頭同士ですれ違ってから、最後尾が離れる瞬間の時間を問うてるんだなと、イメージが掴める。
(秒速15+17mで230+250mを駆け抜ける時間を計算すればいいのかな。32/480=15 15秒。合ってそう。)
でもAIからすると「上り方向」「下り方向」の意味がわからない。わかったとしてもそれが「すれ違う」の意味がわからない。さらに「出会ってから」という表現もAIには意味不明だ。「出会う」で検索しても出会い系サイトしか出てこない。
このように、人間が「あ、そういうことね」と察せる部分がAIには難しいのだ。
こうしてAIは「230m」「秒速15m」「250m」「秒速17m」「何秒」という限られたパーツから正解を導き出すしかなくなる。そして誤答する。
この本の著者は東大の試験をAIに受けさせて合格できるか、というプロジェクトを何年にも渡って研究し、結局のところサクラチル…となってしまったという。
麻雀AIはどうか
では、麻雀の世界ではどうだろうか。
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