ギャンブル論【コラム】
・ギャンブルの功罪
今回の記事はただの自分語り。
あんまり読まれるとも思っていないので、福地さんコメントいらないですw
さて、ギャンブルの功罪には次の3つがあると考えている。
① 勝てると思って負け続け、生活に支障をきたす
② 負けるとわかっているのに、やらずにはいられない
そして
③ 勝てるとわかって、それで生活できないかと考え出す
である。
俺は他とは違う、と思っていても、周りからみたらどれも立派なギャンブル依存症である。
なかなか適度な距離感で付き合えている人は少ないと思う。
かくいう私も重度の依存症患者だ。
主に③である。
雀荘のメンバー以外では、学生の頃にやった新聞配達と、JKと仲良くなりたい!という純粋無垢な動機で働いたマクドナルドくらいしか、まともな労働経験はない。
パチ・スロ・麻雀・公営ギャンブル・株・FX・先物・カジノ…勝った負けたに関わらず、あらゆるギャンブルをやってきた。
ここではその経験を元に、私のギャンブルへの考え方を記していこうと思う。
・麻雀はギャンブルか?
黒川氏の一件から、ワイドショーでも「麻雀」とか「テンピン」というワードが聞こえてくるようになった。
果たして、麻雀はギャンブルと言えるのだろうか?
私は、他のギャンブルと比較すると、ギャンブルと言えないと思う。
麻雀は麻雀というゲームとして楽しんでいる人のほうが圧倒的に多い。
ギャンブルをしたいのであれば、麻雀なんかよりも手っ取り早い種目はいくらでもある。
ギャンブルが好きな人はお金が動くのがとにかく楽しく、お金が動けばどんなものだっていいのだ。
そういう意味では麻雀、特にテンピンまでの麻雀はギャンブルとは言えない。他の公営ギャンブルやパチンコと比較して、動くお金が小さすぎる。
・ギャンブル論
ギャンブル漬けの人生を送っているからわかる。
ギャンブルをしていて一番気持ちいいときは、負けからチャラ付近に戻ってきたときだ。
そのときに生存本能が生を実感するのか、ドーパミンなどの幸福物質がたくさん分泌される。
パチンコで言うと、誰も聞いていないのに
「10万投資から8万戻ってきて2万負けで済んだ!」
といってくるおじさんが多いことからもわかるだろう。
そう、ギャンブルは「負け」から始まる。
競馬なんかが顕著な例だ。
競馬は投票した時点でマイナスのスタートだ。
そこから戻ってこれるのか…身分を越えた額を張った時は、賭けた時点でドキドキするもの。
ゼロバード大学の研究結果によると、自分の全財産の1/10以上を賭けることによって、かなりのドキドキ感を味わうことができる。
勝ったらホッとするし、負けたら後悔する。
賭けた時点でドキドキするということは、そこまで勝ち負けは関係ないのかもしれない。
私にとって競馬は
② 負けるとわかっているのに、やらずにはいられない
に分類される。
一時期は真剣にデータを集めたり、いろんなサイトで勉強した。
しかし年間で回収率が100%を超えることはなく、負けるとわかるようになった。
それでもつい毎週投票してしまうのは、完全なギャンブル依存症なのだろう。
最近では自分で考える暇もなく、馬も覚えられない。
だから誰かの予想に丸乗りすることが多い。
餅は餅屋だ。
ゆうせーさんは違う。
競馬を麻雀のようにスポーツとして楽しんでいる。
お金の動きにそこまで囚われていない。
それでいて、めちゃくちゃ詳しいし、ハマっていると言える。
適度な距離感で楽しんでいて、ああいうふうに楽しめる人は数少ない例だと思っている。
健康競馬だw
また、ギャンブルをやっている人は「たくさん賭けた方が偉い」という勘違いに陥る傾向がある。
バカラが良い例だ。
バカラとは、ギャンブルそのもののトランプゲームなのだが、そのバカラのテーブルではたくさん賭けた人が運命のカードをめくることができる。
どうやってめくっても、誰がめくっても結果は変わらないのだが、そこに優越感を覚える人は多い。
ピン東セットやってる人の収支報告率が高いのも、こういった側面があると思う。
「テン2で800円負けました!」
ってあんまり聞かないもんねw
私もそういう時期があった。
ゲームの範疇を越えたお金を賭けることに憧憬を抱き、1段上のステージに上がった気になっていたのだ。
しかしそんなものは何も偉くない。
ここまでギャンブル漬けの日々を過ごし、一周も二周も回ってようやくわかるようになった。
むしろ、世間との価値観の乖離や、自分の精神の未熟さが透けて見えるようになり、恥ずかしくなってくるのだ。
コントレイルの単勝◯◯◯万円を握りしめているときに、それを痛切に感じた。
・私のギャンブル経歴
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