Mリーガーたちの素顔
【連続note 19日目】
追憶のZ
私が原作を手掛ける「追憶のM」の全5巻が絶賛発売中である。
紙媒体不遇の時代に、単行本が継続的に発行されているということは、最低限は売れているのだと思う。
とはいえ私なんぞの力は1割もない自覚があって、半分は透明感のある素敵な絵を描いてくださっているしおざき忍さんと、もう半分はMリーグというコンテンツの力だろう。
私の仕事はというと、主にLINE通話にて各Mリーガーたちにお話を聞き、それを元に原稿を書くこと。
取材時間は1時間前後。
生い立ちからはじまり、プロ入りしたきっかけ、Mリーガーになった現在の順に聞いていくわけだが、真面目に話し続けていると互いに疲れてくるので、よきタイミングで敢えて脱線してみたりもする。
同じ麻雀バカなので共通点も多く、ついつい他愛もない話で盛り上がってしまう。
だから取材は苦ではなく、むしろ楽しみである。
(その後、どうまとめるのかに苦しむわけだが)
ちょっとだけ自慢させてほしい。
ほぼ全てのMリーガーと1時間以上通話した人って、私だけじゃないだろうか。(取材)
声優である伊達さんの声を夜な夜な浴び(取材)
今や売れっ子となった岡田さんと話し(取材)
日吉さんの喉を独占し(取材)
ポーカーの話で内川さんと盛り上がる。(取材)
ミーハーなタイプではないので最近まで気付かなかったが、これって凄い贅沢なことなのでは?と思えてきた。
そこで今回は、ページの都合で掲載できなかったエピソードや、脱線の中で面白かった話などを、当人たちが迷惑しない範囲でお裾分けしていこうと思う。
順番とか構成とか考えずに、思いつくまま書いていく。
3000文字を超えたら打ち止めとしよう。
二階堂亜樹
昔からスロットが大好きな亜樹さん。
スロッカスだった私とスロットの話題に華が咲いた。
最近は忙しくて仕事以外ではあまり打てていないそうだが、当時新台だったベルセルクが打ちたいと言っていた。なんでも原作が好きだとか。
次の日、ふと私も久しぶりにスロットを打ってみたくなり、朝一番にホールへいくと、一台だけ新台のベルセルクが空いていた。
4万負けた。
日吉辰哉
取材の日時は
「私はこの日とこの日のこの時間が空いていますが、◯◯さんのご都合はどうでしょう?」
という連絡を送って決める。
その中で
「今からでもできますが」
とすぐに通話が始まったのは日吉さん。
即座に取材となったのは、後にも先にもこのときだけである。(助かる)
印象深いのは、雀荘で名前を呼んでもらったときに、大人になった気がしたというくだり。
独特な感性だなーと思ったけど、30年前のフリーデビューした直後を振り返ってみると
「沖中さん47のトップ、おめでとうございます!」
というトップコールは嬉しかった記憶がある。
(当時はボード精算だった)
日吉さんのエピソードのお陰で、30年前の意識下における気持ちの揺れに気付けて、貴重な体験になった。
伊達朱里紗
現在の活躍している姿からは想像もできないが、声優としては咲の上重漫役が決まるまで全く日の目を見なかった伊達さん。
手当り次第受けたオーディションを50回連続落ち、深夜のスーパーのレジでバイトしていたこともあったという。
「袋は入りますか?」
とあの声で言われてみたい。
よく打っていた麻雀つながりで、咲で主要人物の役をもらえるとは、何が幸いするかわからないものである。
猿川真寿
猿川さんはイメージ通り、小さいときからいたずらっこだったという。
下校中の同級生に水鉄砲を浴びせるシーンだが、本当はBB弾だったし、なんならもっと過激ないたずらを繰り返していた。
問題にならないよう、これくらいの表現に留められたのだ。
取材後
「ありがとうございました!」
とお礼LINEを送ると
「ZEROさんって昔の印象でもっと尖っていると思っていました」
と返ってきた。
どういうこと…。
松本圭世
沖「Mリーグに行く日のまつかよさんの行動ルーティンを教えて下さい」
と取材した。
起きてランニングをし瞑想。優雅なランチを経て、選手の情報をカフェで集めます…そんな返答を期待していたわけではないが…
松「朝までゲームやって、昼過ぎに起きて出勤です!」
マンガにはできませんでした。
(コチラは単行本に収録されていないので、現在はこのnoteでしか読めません)
フォローするわけじゃないけど、興味を持ったものにとことこん突き進んでいくまつかよさんの姿勢は、本当に凄いなと尊敬している。
土田浩翔
過去イチ緊張したのが土田さんである。
Mリーグから麻雀観戦を始めた人は信じられないかもしれないが、あのノホホンとしているようにみえる土田さんは、昔は勝ちに大して貪欲だったし、比類なきほどタイトルを勝ちまくっていた。
原作を見てもらっときに
「この原作は愛に溢れていて私が理想とする麻雀哲学そのものです。」
と絶賛の声をいただいた。
おそらく、言いたかったことや不満もあったはずなのに。
周りに感謝しながら生きていくことがベースになっているんだろうな。
土田さんの言葉遣いがキレイな理由、周りから愛されている理由が垣間見えたやりとりだった。
岡田紗佳
岡田さんも緊張した。
取材中に
「フィッティングルームってなんですか?」
と聞き直したことがある。
「ああ、モデルたちの控室のようなところで」
と解説してくれた。
ちょっと考えれば分かるやろ、俺。
その後も
「ランウェイを歩いた直後にオクタゴンへ…あ、ランウェイというのはファッションショーなどでモデルたちが歩く…」
と丁寧に解説をさせてしまうことに。
一応取材前に、その人に関する文献(麻雀遊戯王の年表が一番良い)で予習していくのだが、ファッションショーについても予習すべきだった。
魚谷侑未
追憶のMの記念すべき初回は魚谷さんだった。
もう3年前になるのかな。
それでも2時間くらい話してくれたことを記憶している。
当時、魚谷さんは猫を飼っていなかった。
取材中、うちの猫がにゃーにゃー鳴いた。
そのついでに猫トークを繰り広げた。
取材後ちょっとたって、魚谷さんは保護猫をひきとって飼いだした。
今では3匹と暮らしているようだ。
「私が猫アピールしたから飼いたくなっちゃいましたか」
と聞いたら
「すみません、それは全くないです」
とキッパリ否定された。
魚谷さんはずっと猫が飼いたかったんだって。
めっちゃ恥ずかしいやりとりだった。
鈴木たろう
たろうさんを取材したのは協会から最高位戦に移籍した直後だった。
人間には帰属意識という本能が存在する。
太古の時代は、所属しているムラからハブられることは、命に関わる問題だった。
だから人間にはムラを愛する帰属意識が備わっているのだ。
かくいう私も最高位戦に所属して3年経つわけだが、やはり最高位戦と周りの仲間を応援する気持ちが強くなっているのを実感する。
でも、たろうさんは敢えてその帰属意識を打ち消すという。
たろうさんは3年どころではなく、協会に所属して15年経っていた。
協会への愛着も相当強いだろうし、決して嫌いになったわけではない。
迷ったとき、本能を打ち消して、より面白くなる道へ進んでいく。
それはたろうさんの麻雀そのものだなと感じた。
渡辺太
私と太は鳳凰卓で何度も何度も同卓した。
でも、こうやって直接話すのは初めてだった。
ふとっしーが下家に座るとウザいとか、あの時はつらかったとか、やっぱふとっしーは強いよとか、ここ5年位の出来事を吐き出すように喋った。
同窓会で意気投合したような、そんな感覚になった。
驚いたのは、ふとっしーがスマホで天鳳を打っているということ。
さらに寝っ転がって、である。
眠くなるし集中できないと思うのだが、ふとっしーからするとそれが一番集中できるのだろう。
生い立ちから聞いたとき、亡くなったお父さんの話に私の心が揺れた。
お父さんの言葉が原動力となり、生きてきたという。
心が揺れた時は、そのまま原作にすればいい。
私がそうであったように、読んでくれた人の心を揺らすことができるからだ。
打ち止め
3000文字をゆうにこえたので打ち止め。
36人いたら、36の人生がある。
それぞれが必死にもがきながら生きてきた証であり、それを聞くのは面白い。
それぞれに思い入れのある40以上の物語。
ぜひ手にとって読んでもらいたい。