プロ時代の話【コラム】
ナイフみたいにとがっては
20前後の私は麻雀の強さが全てで、その中でも自分を一番だと疑っていなかった。
その時代にTwitterがなくて本当に良かったと思う。
とある私設リーグでのこと。
「ロン、インパチ」
そう言って私は4枚の手牌を片手で倒した。
1500は1800。
「コインパチ」と言われるやつだ。
放銃したのは、日本プロ麻雀連盟・古川孝次プロ。
キャッチフレーズの「尾張のブル・ファイター」の通り、名古屋では知らない人がいない重鎮である。
連盟最高峰の「鳳凰位」を3連覇しており、手元のデータによると20年以上A1リーグの常連であり、今でも現役のA1リーガーである。
だからこそ私は対抗心をむき出しにしたのだ。
(プロ?こんな場末のじいさんみたいなのに負けるかよ!こたつでみかんでも食ってろ!)
それくらい思っていた。
卓上では一切の会話をせず、周りはみんな敵。
強打や小手返しで他人を威圧し、相手が長考しようもんなら睨んで急かしていた。
誰よりも早く、誰よりも高く、そして誰よりも強くなりたい…俺の中ではそれだけしかなかったのだ。
アガリ形を見た古川プロは、片手倒しを指摘することもなく、申告も訂正させることもなく、ただ
「はい」
と言って、微笑んで1800点を卓上に置いた。
(今どき、おもしろいやつが来たもんだ)
古川プロはそう思っていたという。
この人もこの人でちょっとイカれている。
よく誰にも殴られなかったもんだ、と今になって思う。
井出洋介プロのカバン持ち
そんな折、突然井出洋介プロのカバン持ちをすることになった。
当時の雀荘オーナーのはからいで、プロになりたがっていた私に対し、東京へ行って井出さんと一週間行動を共にすることになったのである。
当時、井出さんは所属する最高位戦の代表を辞め、新たに新団体「μ(ミュー)(麻将連合)」を立ち上げている最中だった。
井出さんから、一週間のスケージュールが書いてある紙を受け取った。
紙にはμの詳細を詰める会議だったり、井出さんが手掛ける雀荘を見学したり、井出さんのゲスト先だったり…が書いてあった。
冒頭に紹介したように、私はナイフみたいに尖っていた。
新団体のことなんて全く興味がなかったし、とにかく自分の強さをどれくらいアピールできるかしか考えていない。
井出さんとゲスト先で1回同卓する機会があった。
ここぞとばかり気合を入れ、バチンバチンと強打する私。
3回連続でアガって、自分の強さを見せつけたつもりでいた。
すると井出さんがニコニコしながら言った。
「やっと高めでアガれたね」
たしかにそれまではタンヤオ、イッツーの安目で、今回はイーペーコーの高めだった。
井出さんが自分のアガリを見てくれてるんだなぁと嬉しく思った。
今思うと、井出さんはとにかく麻雀でアピールしようとしている私の胸の内を見透かしていたのだろう。
そしてそんな小さい私はノイズでしかなく、井出さんはもっともっと遥か高みを見ていた。
なんとかプロを麻雀で食わしてやることはできないか。
麻雀をもっとメジャーで一般的な競技にできないだろうか。
今で言うところのMリーグを作れないかと思案・奔走していたのが井出さんであり、これが20年以上前の話だ。
あまりに世界と知見が広い井出さんに対し、なんと狭くて矮小な存在の私。
ミスマッチすぎて、「カバン持ち」は不完全燃焼に終わった。
今だったらもっと得るものがあるだろうに、セッティングしてくれたオーナーや井出さんに申し訳ない。
μ(麻将連合)の試験を受けた
そしていよいよ麻将連合が始動した。
私は記念すべき、第1期の試験を受けた。
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