『地図にない場所』座談会(1)[1~3話]
ゼロ年代研究会の立ち上げメンバーで、2020年代初頭を代表する漫画の一つ、安藤ゆきの『地図にない場所』の読書会を行いました。ここ数年に出た漫画の中で『地図にない場所』ほど現代という時代を反映した漫画はありません。この漫画について語ることを通して、ゼロ年代研究会の視点から現代を照射していきます。
座談会メンバー紹介
ちろきしん
ゼロ年代生まれ、テン年代育ち(1999年生)。自分の内側にある「常に上を目指さなければいけない」「成長を楽しまなければいけない」という意識に苦しめられ続けた人生でした。「テン年代自己実現至上主義」を絶対に許さない。好きな作品は『けいおん!』『マブラヴ オルタネイティヴ』『なるたる』など。
ホリィ・セン
1991年生まれ。すぐに「シェア」できてしまうSNSの時代は僕らから「内面の葛藤」を奪いました。だからもう一度前に進むために、20年前のあの時代からやり直さなきゃいけない。好きな作品は『おジャ魔女どれみ』『最終兵器彼女』『NHKにようこそ!』など。
第1話
あらすじ
ちろ 僕は悠人の気持ちよくわかるなあ。大学入った時マジでこんな感じだった。周りのみんなは知識もやる気もあってどちらも持ち合わせてない僕は全然追いつけなくて、アカデミックな方向では挫折してしまった。高校の同級生くらいしか友達いなかったんだけど、彼らも大学生活に適応していってズレを感じていたな。
ホリ 俺は1話の時点ではコンプレックスへの共感はさほどないかな。
ちろ 今もそうだけど、周りの全ての人間が自分より人生が上手く行ってるように見える。大今良時の『聲の形』で、人間不信になった主人公の視点で周囲の人間全員の顔に×を付ける表現があるんだけど、そんなイメージ。その中で、「もしかしたら自分より"終わった人"がいるんじゃないか」というのは一つの希望なんだよね。僕には身に馴染んだ感覚だよ。
ホリ それは俺にはない感覚やな。自分の場合、勉強は普通にできたしなあ。
ちろ 高校の時は特に酷くて、「自分は人間として無価値だけど、もし自分より"終わった人"に手を差し伸べたら必要とされるかもしれない。もし助けることができたら自分にも価値があるんじゃないか。」と思って引きこもりの友達の家に行っていた。『NHKにようこそ!』の岬ちゃんが引きこもりの佐藤を訪ねるのとほぼ同じ。
ホリ 自分と横並びの、同じぐらいの人に劣等感を覚える感覚はあまりないな。自分よりも蓄積があって何か持ってるなって人には感じてた。劣等感の話で言うなら強かったのは知識コンプレックスとコミュニケーション、特に恋愛だよね。
ちろ 僕は全部あるわ。
ホリ でも俺の劣等感は「社会」から弾き出されているっていう感じ。悠人の悩みは「社会」からって感じはしない。
ちろ 悠人は今のネオリベ的な能力主義が全面化した社会でついていけないって感じでしょ。リアリティあると思うけどな。
ホリ うーん、今の社会においてはリアリティあるけど、なんていうか、僕にとっての主観的なリアリティが悠人と合致しないな。
ちろ 僕の世代(98年生)以降の価値観かもしれないな。僕はどこに行っても結局うまくいかないし、ノーマルな社会に復帰したい気持ちはある。
ホリ 就活とかすんのかよ。
ちろ したくないな……。
ホリ じゃあいいだろ、ノーマルな社会なんて。
ホリ 教室の人間関係みたいなのが俺の中ではリアリティがある。僕はスクールカースト的な現実を生きてきたので、『オナニーマスター黒沢』とか『俺ガイル』とかが刺さる。
ちろ 『俺ガイル』、テン年代やないか! どういうことや!
ホリ テン年代やけど、『俺ガイル』も全然ゼロ年代的な意識あると思うけどな。
ちろ 僕は渡航の作品読んだことないけど、デビュー作の『あやかしがたり』は田中ロミオがゲスト審査員を務めた回のガガガ大賞受賞作。王雀孫を師匠と呼んでいたりもするらしいな。ゼロ年代の文脈はあると思う。
ホリ 『俺ガイル』はスクールカーストものやねん。そこにゼロ年代を感じる。
第2話
あらすじ
ホリ こいつ普通に幼なじみがいるやん。幼なじみがいるのは許せるん?
ちろ 恋愛関係にあるわけじゃないし……、まあ。
ホリ 俺は幼なじみいるのは許せへんけどな。
ちろ でもゼロ年代オタク文化の幼なじみってもっと主人公べったりで主人公のこと好きだったりするじゃん。
ホリ でも同年代の女子と普通にコミュニケーションが取れるやつ、ムカつくんだよな。
ちろ ホリィ・セン取れなかったの?
ホリ 取れなかったよ。『俺ガイル』の八幡は、クラスのほとんど誰とも話せない。材木座っていうキモオタと、戸塚っていう女っぽい感じの男の二人としかコミュニケーションが取れないんだよ。『俺ガイル』はその辺リアリティがあったな。悠人は全体社会の中で比較的恵まれてる側の人間なんだよね。主観的な劣等感の問題ではあると思う。
ちろ 僕も主観的な劣等感やで。
ホリ やっぱり僕は2話の段階ではまだ、劣等感モノとして読めないな。
ちろ 『NHKにようこそ!』の話しよう。
ホリ やっぱり「自分より終わってるやつが見たい」っていう発想といい、アパートのインターホンを押すっていう構図も含めて、『NHKにようこそ!』なんだよね。けど、結局コハクさんはヘコんでないんだよな。性別といい「NHK」とは逆の構図になってる。
ちろ 「NHK」と違うところはもう一つある。メサコン性が悠人には無いんだな。僕が昔岬ちゃんみたいなことしてたときは、「自分の価値を誰かに認めてほしい」「だから助けたい」という気持ちがあった。悠人には無さそう。
ホリ 精神が健康なんだよなあ。コハクさんにもけっこう踏み込めるし。
ちろ まだ14才っていう設定だから、自我が芽生えていないってのもあるはず。うっすらと「終わってるのかも」って思ってるだけで承認欲求も育ってない。
第3話
あらすじ
ちろ この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて……
ホリ いや、そんな感傷に浸ってないから! コハクさんは親に対して従順だよね。感情を抑圧してるように見えるよね。
ちろ 感傷に浸って欲しいのに。
ホリ バレエを辞めて、そこでようやく自分の感情に気づくところ。バレエの世界への未練はそこまで感じさせない。
ちろ コハクさんって本当に何もできないんだけど、ただ何もできないというだけじゃない。安藤ゆきの前作の『町田くんの世界』では、主人公の町田くんは、他は無能だけど性格だけはものすごく良い。そういうキャラクター造形だった。
ちろ 一方で、コハクさんにはトップバレリーナとしての経験がある。後で取り上げることだけど、町田くんと違うのは、今のコハクさんには家族もバレエも失って生きていくための根っこがないこと。
ちろ ゼロ年代だったら、それを肯定するにしろ否定するにしろ家族って存在はすごい存在感があったはず。空虚さを家族的な紐帯を再び求める方向に向かっていたのかもしれない。ところがそうはならない。そこはゼロ年代と違う。母親とのこともトラウマをあまり感じさせないしね。で、このコハクさんを縛る鎖になってた母子家庭の構造、これはテン年代の呪いですよ。
ホリ テン年代の呪いとは。
ちろ ゼロ年代作品の共依存関係とテン年代作品の共依存関係の違いにについて考えたい。ゼロ年代の共依存関係は多様だった。恋愛のための恋愛、友情のための友情がその中にはあった。ところが、テン年代になると様相が変わる。境目になったのは「まどマギ」だね。
ちろ テン年代は、『ラブライブ!』や『響け! ユーフォニアム』を代表に自己実現的な目標を達成することを至上目的として邁進する自己実現系作品が流行った時代になった。これが「テン年代自己実現至上主義」。その中で描かれる共依存関係は当然自己実現という至上目的を叶えるための関係になっていった。『ラブライブ!』はテン年代において最も重要な作品と言って良いと思うが、その作品の土台になっているのは、「欲望が一致している九人」という歪んだ前提だった。
ちろ これは、母親と一心同体になってバレエに向かっていったコハクさんの母との関係に重なる。ただ、『ラブライブ!』は共依存関係をあくまで自己実現に至る道具の位置に貶めているせいでその悪い側面を隠蔽しているんだよね。
ホリ 「まどマギ」が境目になった話をもう少し聞きたい。
ちろ 「まどマギ」はそれ自身を目的とした共依存関係に徹底的に疑義を示す内容だった。さやかは想い人の恭介の手を治すために魔法少女になったのだが、恭介は仁美と付き合ってしまい、さやかは絶望する。
ちろ そこでさやかの前に現れたのがホストたち。彼らが、恋人を人間扱いせず貢がせてはすぐに捨てるという在り方を悪びれもなく語っている様にさやかは激怒する。
ホリ なるほど。その後の展開で杏子がさやかに対しての友情を追求したというのも外せないポイントやね。ゼロ年代の恋愛至上主義の否定からテン年代の友情志向への移行とでも言えるか。岡田磨里の作品みたいな。
ちろ ここでさやかが放つ「ねぇ、この世界って守る価値あるの?」というセリフ。ゼロ年代にあったある種の楽観を破壊するセリフだね。
ホリ ゼロ年代にそんな楽観ってあったっけ?
ちろ key作品が代表。「大切な友人や家族や恋人がいれば人生幸せ」という価値観。そもそも一般的なエロゲーの世界観って「ヒロインと結ばれれば人生成功」みたいなところがある。ラブコメ漫画ってゼロ年代に花が開いたジャンルだと思うけど、『ラブひな』を初めとする多くのラブコメ漫画にも共通してるね。いや、もちろんゼロ年代にだってそれに異を唱える作品もたくさんあったけど。
ホリ たしかに、恋のライバルやセカイではなくて、あのホストという露悪的かつ社会的な存在に恋愛が否定される側面がゼロ年代の否定って感じで新しいのかも。話戻すと、『ラブライブ!』『ユーフォ』とかに代表されるようなネオリベ的な価値観が蔓延して関係の間にある病理が隠蔽されてるというのには賛成だな。僕の好きな精神分析で言えば「無意識」が失われたっていう言い方になる。
ちろ コハクさんの話はテン年代が隠蔽してきた病理を暴露してるんだよ。
ホリ それはその通り。俺も毒親モノとして読めるなと思った。毒親モノもテン年代に流行った。田房永子の『母がしんどい』とか。
ホリ 毒親が言説として広まったのはSNSの影響もあるけどね。いずれにせよ「母親が大人になれない。醜い競争心を子どもに投影して、自分の願いを子どもに叶えさせようとする」というパターンはよくあるから、いかにもコハクさんはそういう子どもとして描かれている。子どもは親の願いを拒否できない、受け入れざるをえないから。まさにコハクさんの境遇はそうだよね。
ちろ 3話は同時に「終わること」について深められていく。コハクさんにとって終わるというのは「自己実現競争社会から降りること」
ホリ 自己実現の競争を主体的にやってたのは母親の側で、コハクさんの方はやらされてるんだよね。『ラブライブ!』のやつらは自分でやってると思ってるから、欺瞞を隠蔽してる。
ちろ 怖いよね。許せない。
ホリ あとは最後の部分、コハクさんは生活スキルがないから悠人に助けてもらってる。悠人も料理とかできないんだけど、面倒見てるみたいな関係になって「面倒見がいいね」「ありがとう」と言われる。それで悠人は「久しぶりに世界に受け入れてもらえたような気持ちになったんだ」と。
ホリ モノローグが上手いよね! しかもそのコマで「”地図にない場所”って知ってる?」って言うんだよ。
ちろ タイトル回収のタイミングが完璧すぎる。
ホリ 悠人って感情を表に出さないキャラなんだけど、「世界に受け入れてもらったんだ」っていう大きな言葉がここでモノローグで出てくるのがいいね。
ちろ 『町田くんの世界』でも、町田くんは周囲の個人個人をみんな自分の家族だと思って接するキャラ。自我が大きいんだよな。キャラにこう言わせるのは安藤ゆきの癖なのかもしれない。
ホリ この段階では悠人自身はコハクさんの内面は想像できてない感じ。ただ、コハクさんは「年上だけど生活スキルがない」っておかげで対等な関係になれた感じだね。
ちろ 次は4話か。いよいよ"イズコ"の話が出てくるな。
最後に次回4話のあらすじを載せました。続きの『地図にない場所』座談会(2)は近日公開します。こちらからどうぞ