佐野航大のオランダ移籍によせて
どうも、ゼロファジです。
先日、佐野航大選手のオランダ1部NECナイメヘンへの完全移籍が発表されました。いやー、ついに来たかと。来てしまったかと。
ファジアーノ岡山公式YouTubeではその記者会見の模様が中継され、ほんとにたくさんのファジサポが感謝や激励の言葉を贈るという温かい時間が流れていて。ああ、ほんとに岡山の子を海外へと送り出すんだなってしみじみ感じた次第でした。
ファジアーノ岡山にとっては初めて「ワシが育てた」選手を欧州リーグへと送り出すということで、またクラブの歴史に新しいページを追記する出来事になりましたね。
ファジアーノ岡山は2004年設立。しかも当時はまだプロクラブでもなかった。聞いた話だとほんとに原っぱみたいなところで試合をしていたそうです。オリジナル10のようにプロクラブとしての歴史が長いクラブなら、若手選手の海外移籍も珍しい話じゃないでしょうが、なんにもないところから始まってプロクラブになり、こうして欧州に選手を輩出するようになるとは!ほんとに歴史を塗り替える出来事だと思います。
とまあ、堅苦しい物言いはこのへんにして。
せっかくの機会なので、佐野航大を1年半見てきて思ったことをひとりのファンとして書き記しておきたいなーと思います。例によってあまりデータとかは参照せずに主に記憶をもとにてきとーにしゃべっていこうかなあと。まあ、この際だしね。出し惜しみせずやりたい話は全部やっちゃおう!ということで。長くなるとは思うけど、よろしければお付き合いくださいましな。
オランダでの佐野航大の未来は?
佐野航大がオランダに行く!ということで、一番気になるのはやっぱりNECに移籍してどうなるんだろう?ってことだと思うんですよ。サッカー選手は試合に出てなんぼですしね。もちろん、移籍するにあたってこのチームでいいのか?精査したうえでの決断だとは思うんですけど、まあ実際やってみんとわからんですから。こればっかりは。
あまり欧州リーグに詳しくない人からすると「オランダリーグってどうなん?」ってなるかもですが、これまでも今も日本人が在籍しているわりとなじみのあるリーグですね。欧州でもトップ10に入るレベルの高いリーグです。ここを足掛かりにステップアップした選手も多く、日本代表もたくさんプレーしてきたリーグです。
また、外国人枠が存在しない代わりに外国人選手には最低年俸が高めに設定されていて、そういう設定を設けることで外国人枠を規制して自国選手を育成しようという狙いがあるようです。(20歳未満の佐野航大の場合はもうちょい安いかも)いずれにせよ、外国人は少し高い助っ人として見られる。そういう環境といえそうですね。
正直どういう監督の元で、どういうサッカーをやっていて、どういうポジションで考えられていて、どういうライバルがいるのか?などなど、情報があんまりないんです。だから佐野航大がどう食い込めそうなのか?とか予想のしようがなくって。試合を見ようにも日本ではオランダリーグを観られる環境がないという!(去年まではHuluで観れたっぽい)こいつは困った・・・なんとかならんもんか。
ただ、ポジティブな点もいくつかあって。まずNECが移籍金を支払って完全移籍で佐野航大を獲得したこと。この点は非常にいいことだったなと思っています。というのも、NECは佐野航大を買って、育てて価値を高めていずれどこかへ売却したいと思ってるはずなんですよね。だから、ある意味投資に近い形で移籍金も払って獲得した。ということは、しっかり育ててゲームに使い、活躍させて価値を高めないといけません。もし、これが0円移籍とかで獲得となると元手がかかりませんから、うまくいけば儲け、いかなきゃ知ーらねって態度も取れてしまうわけです。
次に、おそらく佐野航大は海外向きのキャラクターなんじゃないか?ということ。社交的であり、お調子者で年長者にかわいがられるタイプ。海外にはたくさん選手が出ていますが、結構キャラクターによって受け入れられやすさには違いがあるようです。まあ、長友佑都みたいなコミュ力お化けとまではいかないでしょうが、たぶん、佐野航大のパーソナリティだとやっていけちゃうんじゃないかなと思います。ただ、コミュニケーションには語学が欠かせないので、しっかりとそこは取り組んでほしいですね。たぶん、海外生活も長くなるので、ずっと必要になるものでしょうし。
実はすでにオランダリーグは開幕しているので、スタートしてるチームに途中から入っていく格好になります。まずは、現地に、チームに、リーグに慣れて、少しづつ出場機会を伸ばしていってほしいですね。いやー、マジで試合が観たい!ほんとどうにかならんかなぁ。ときおり入ってくるニュースを楽しみにするとしましょうかねー。
佐野航大の序列は決して高くなかった
佐野航大がオランダに移籍すると聞いたとき、一番に思ったことは「ほんとによく勝ち取ったよな」ということでした。ひとりの若者がきっかけを得て、自分を変えて結果を出して、ついに海外移籍を実現させた。なんだかあっという間の出来事でしたが、そういう立身出世の劇を目の前でみせてくれて、こういう風に若者は化けていくんだなって。ええもん見せてもらったなぁ!って感謝の気持ちがしみじみと湧いてきました。
オランダ移籍に辿り着くまで佐野航大はファジアーノ岡山でもU20日本代表でも主力中の主力選手として活躍していました。しかし、それは彼がブレイクしてからの姿であって、もともとはクラブでも代表も序列は決して高くなかったんですよね。佐野航大の岡山での一年半はそこから這い上がってブレイクして海外へと旅立つ、ほんとマンガみたいな物語だったなあと感じています。
ファジアーノ岡山加入前後の印象
パーソナリティも愛嬌があって親しみやすく、ルックスもいい、プレーもかっこいいと、人気の出やすい要素をたくさん持った選手だと思います。しかし、ここまで岡山で彼が人気を集めた理由はやっぱり「岡山の子」であるということに尽きるでしょう。
過去にファジアーノ岡山の試合を観に来ていたこともある少年が、プロ契約を交わして入団する。その時点で岡山民としてはかなりグッとくる来歴です。岡山ゆかりの選手に主力を務めてほしい!ってリクエストに応えられる適材が長らくいなかったので、その分佐野航大に期待を寄せる人は多かったろうと思います。他県出身の選手を軽く扱うとかそういうことでは断じてないんですが、「岡山を代表して戦う」感をなんか勝手に託してしまう。そういうスペシャルな存在であったなあと。
佐野航大をはじめてみたのは岡山に加入する直前の冬の選手権。お兄さんの佐野海舟が強烈なボールハンターだったし、同じボランチの選手ということで弟はどうなんだろう?と思っていたらだいぶイメージが違った。もっと前でプレーする攻撃的なタレント。そして、どこかエレガントさも持っていて「あまりウチにはいなかったタイプだな」と思ったのを覚えています。
シーズンがはじまり、当時のキャンプを見ていた人によると「その時点でかなりやりそうな感じはあった」そうです。冬までサッカーをやっていたのでコンディション的にもよかったこともあって、チームメイトを相手にしてもかなりやれていた。そういう情報も伝わっていました。なので、「これはもしかしたら想像以上にゲームに絡んでくるかもしれない。そうだったらおもしろいな」と思っていました。
ところが、そう簡単に事は運ばなかった。
佐野航大の2022年の出場記録を見てみると、
開幕してからの5か月、なかなか出場時間を伸ばせず交代出場が多かったんですよね。また、交代で出てきてもさほど目を見張るような活躍をできていたわけではありませんでした。正直「うーん、やはり高卒ルーキーは難しいのかも」という印象は否めなかった。
具体的に覚えているのは「フィジカルで潰される」「パスがショートしたりして合わない」「判断が遅い」とかね。そういうプレーが多かったかなあと。それゆえに佐野航大らしさとはどういう感じなのか?まだわかりませんでした。
過去の自分の佐野航大に関するツイートを見てみても、7月までほとんど投稿がないんですよねー。もし目を見張るようなプレーを見せていたら必ず褒めているはずなので(褒めたいし)、そういう瞬間がなかったということだと思います。チームの成績が良かったこともあって、今だからこそ言えますが佐野航大よりも別の選手を使ったほうが結果につながるんじゃないか?とも思っていました。
ところが、これがガラッと変わったんですよ。
こちらは2022年の後半の出場記録です。もう、見てもらったらわかるように明らかにプレータイプが伸びてスタメンを担っているのがわかります。そのきっかけとなったのがアウェー大分戦。
この試合ではじめて「これが佐野航大か!」というプレーを見せてくれたんですよね。しかも、フルタイム出場し(ごっちゃん気味だったけど)プロ初ゴールを記録。その時のツイートなんかみてもパフォーマンスが向上してるのがよーくわかる。
「これはJ2で十分やれるな」ということを感じさせた試合でしたし、何より別人のようにのびのびとプレーするようになった。これ以降は完全に主力として定着しブレイクしていくことになります。このように、ファジアーノ岡山でもベンチスタートが多く序列は決して高くなかったところからスタメンに定着して不動の位置を占めるようになったわけです。
なぜ佐野航大はガラッと変わったのか?
「以前」「以後」の間で一体何があったのか?
それが2022年の5月に行われたモーリスレベロトーナメントという大会(かつてのトゥーロン国際大会)でした。これがほんとに大きかった!
佐野航大のブレイクはもちろん本人の努力によるものですが、そのきっかけを与えてくれたのはひとつの大会とふたりの指導者だったのではないか?と、個人的には思っています。
ひとつの大会とふたりの指導者と
モーリスレベロトーナメントは佐野航大が初めてU-19代表として国際大会に参加した大会でした。彼の経歴を見るとわかるように、過去にU-17とかU-15とかに呼ばれて大会に出ていたわけじゃないんですよね。だからたぶん代表の活動においても序列は決して高くなかったはずです。
しかし、この大会で日本の同世代のトップの選手たちに混ざって、海外のチームと対戦したことが彼に大きなきっかけを与えることになります。
移籍の記者会見で佐野航大はこんなことを言っていました。
それまでは「地元でプレーしたい」「J2で兄と対戦したい」という身近な目標を掲げていたんですけど、ここで「世界」に触れたんだと思うんですよ。そして、差を感じた。だから、そこを詰めたい。そのためには取り組みを変えなければならない。佐野航大のブレイクにはこの「気づき」があった。これは本当に大きなことでした。「世界」を意識したことが、自分を成長させるきっかけになった。それが頭の中にあったので、オランダに行くと聞いたとき「国内じゃないのか?」じゃなくて、「そうか、そうだよな」って思って。
だから、佐野航大をU-19代表に呼んでくれた冨樫さんにはほんとうに感謝したいです。どういうスカウティングのもとでリストアップされたのかはわかりませんが、岡山に加入してからの佐野航大のプレーは前述のとおり正直パッとしませんでした。それなのによくぞ呼んでくれました!っていう。冨樫さんが呼んでくれなかったら多分このブレイクはなかったと思いますもん。
そして、J2でそこまで脅威となれていない中でも辛抱強くプレータイムを与え続けた木山さん。ほんとによく我慢して使うなあと思っていましたが、こうやって花を咲かせることがあるんだなと思い知らされましたよ。さすがにこれまで何人も若手を伸ばしてきた実績を持つ指導者だなあと。
モーリスレベロが終わったのが6月の頭。佐野航大がアウェイ大分戦できっかけをつかんだのが7月の10日ですからおよそ一カ月ですよ。代表で得た気づきを日常に活かして取り組んだことが7月以降に実を結ぶことになったと。
J2で昇格争いをするチームの主力中の主力を務めればそりゃ堂々と代表に呼ばれるわなって話で。U20アジアカップ、U20W杯と呼ばれるたびに序列をあげていき代表でも重要なプレーヤーとしての地位を確立していきます。まさに、代表→クラブ→代表と、理想的なサイクルで成長することができたんじゃないかなと思います。
国際大会にはじめて参加した選手はどこか腰が引けたプレーになってしまうそうですが、佐野航大は実に堂々とプレーしていて記者さんたちを驚かせたそうです。相手が強くてもガンガントライしていく。岡山では何度も見た姿ですが、国際舞台でもそういう彼の良さは目を引いたようでW杯を取材した記者さんたちからも「佐野航大が2人いればな」とか「佐野航大は頼もしかった」と評価されるように。
クラブでも代表でも主力となるともう覚悟しかないっすよ笑
いずれ、岡山には置いておけなくなることは間違いない。きっとみんな大なり小なり思っていたんじゃないかなあ。だからこそ、送り出すときにあんな晴れ晴れとした雰囲気にもなったんだろうなぁと。
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↓アフリカ予選を全勝したらしいセネガル相手にドリブルを披露する佐野航大
いや、そりゃバレるって。
木山さんの左サイド起用
モーリスレベロ以前以後でなにが変わったのか?まずは当たり負けしなくなってボールを持てるようになったことが大きかったんじゃないかなと思っていました。足元にボールを置いて、ドリブルで相手を動かしながら間接視野で周囲を見つつ状況によって判断を変える。自分が大好きな佐野航大のプレーですけど、そういう余裕を持てるようになったのが大きかったなあと。
ファジアーノ岡山では木山さんの意向もあり、主に左のWB、左のSB、ボランチ、IH、右WBとかなり手広くポジションを経験しました。本来はボランチ・トップ下といった真ん中のポジションが得意な選手ですが、左サイドにおいて相手の守備者と対面しながらデュエルさせることをかなり意識した起用だったんだろうなと思います。
木山さんもゆくゆくは真ん中で、という考えはあったと思います。しかし、その時が来る前に海外移籍が決まってしまった。実は、佐野航大の最後のホームゲームとなったホーム町田戦の後半、ボランチにポジションを移すと過去最高クラスにヤバイ輝きを放っていたんですよ・・・
あのとき思った人も少なくなかったはずです。中盤の真ん中で佐野航大をプレーさせるとこんなにワクワクするのか!って。岡山でその続きを見ることはできませんが、海外や代表できっと見せてくれることでしょう。
岡山から世界は目指せる
最後にもういちど記者会見での佐野航大の言葉を引用したいと思います。
若手の有望な選手はやはり海外でプレーしたい!という志向を持っている選手が多いでしょう。どういうクラブで活躍し、海外からのオファーを勝ち取るか?そのルートも最近は多様化しているように思います。
従来であれば、国内の有力なクラブで活躍し、その実績をもとに海外に引き抜かれていく流れが一般的だったと思いますが、大学・高校から直に海外に行く選手も増えてきています。
そして佐野航大のケースですよ。
岡山のようにJ2の地方後発クラブであっても、J2で実績を積んで代表でアピールすることで、海外からのオファーを勝ち取ることができるんだと佐野航大が身をもって証明した。いずれあんな風になりたいと思っている岡山県内のサッカー少年の目に佐野航大の足跡は果たしてどのように映っただろうか。
まさに、『子どもたちに夢を』の一つの形をファジアーノ岡山が実現させたといってもいんじゃないかと思います。
この先、彼がどんなキャリアを描くのかまだだれにもわかりません。しかし、海外のリーグでしっかりと活躍し続けることができればいずれ日本代表は現実的な目標になってきます。今、19歳ですから、あと3年後くらいに果たしてどんなプレーヤーになれているか?試合は見れないけど楽しみで仕方がない。
去年、ミッチェル・デュークがファジアーノ岡山所属の選手として初めてカタールW杯に出場しました。あの時の当事者感、一生忘れないと思う。W杯でサッカーに魅せられて、W杯でサッカーに背を向け、再びW杯でサッカーに戻ってきた自分としては、ほんとうに幸福な時を過ごさせてもらいました。デュークのときであの感じなら、岡山が育てた佐野航大が出場したらいったいどうなっちゃうんだ?っていう笑
佐野航大はクラブから旅立ちましたが、彼の夢はまだ岡山と共にある。日本代表になろう。そしてW杯へ行こう。
そして遠い先の未来、再び彼のプレーを岡山で観れることを控えめに祈っておきます。1年半ほんとに楽しませてくれてありがとうございました。これからも応援しています。
(写真:hide@fagi1598)
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