ドーハの悲劇と私
中学生の頃、ドーハの悲劇を目撃した。
そういえばスポーツを見ていて悔しすぎて布団をかぶって泣いたのは後にも先にもあれが唯一だったかもしれない。自分がサッカーにハマる最初にして最大のきっかけだったと思う。
あのときにいちばんに感じたことは「勝たせてあげたい」ということだった。泣き崩れる選手の姿が辛すぎて、なんとかしてあげたい。アメリカに行かせてあげたい。
その気持ちはやがて「日本をもっとサッカーの強い国にしたい」に変わっていく。もうこんな悔しい思いはしたくない、してほしくない。だから、強くなってほしい。強くしたい。そのために自分ができることはないのだろうか?中学生だった自分はそうした熱情を心のうちに秘めていたように思う。
ところが、自分にできそうなことなんて何ひとつなかった。
自分がプレーヤーとして日本代表になる?とても無理だ。14歳までサッカーをプレーすることとはほとんど無縁な人生を過ごしてしまっていた。プレーヤーですらない人間に果たして何ができるというのか?なぜ自分はそれまでサッカーをやってこなかったのだろう?できることなら時間を巻き戻して、小学生からサッカーをやっていたかった。でも、もう遅い。完全に手遅れだ。
大人になればこの国のサッカーを強くするためにできることをあれやこれやと思い付いたかもしれない。しかし、ドーハの悲劇で初めてサッカーに深く触れたただの中学生にそんな発想は持てなかった。
「日本のサッカーは強くしたい!だけど、きっと自分のような門外漢にできることなんてなにひとつないんだ」そうしてひっそりと断念しながら、大人になっていった。
あれから時は経ち、ドイツで落胆してサッカーに背を向け、南アで熱狂し、再び「自分のできることをやりたい」に戻ってきた。そして地元のクラブを応援し、ブログを書き、14年が過ぎる。こつこつと独学を続け、拙いレビューをたくさん書いてきた経験をもとに、今年から『やわらかフットボール』というサッカー観戦術入門講座をスタートさせた。まさか、自分がひとに教えるだって?大それたことをと今でも思う。
この『やわらかフットボール』がどれくらいひとのお役に立てるのかはわららない。しかし、14歳からスタートして約30年、ブログをはじめてから14年、こつこつと積み上げてきた知識と経験を再構築して形にすることはできたように思う。この国のサッカーが強くなるためにほんのごくわずかでも何かしら寄与することができればいいと思っている。
日本代表にW杯で優勝してほしい。
死ぬまでに一度でいいから。
そのためには、この国においてもっとサッカーが深く浸透する必要があるんじゃないか?ファン・サポーターにはもっともっと可能性が残されているんじゃないか?
ドーハの悲劇で受けたインパクトは、いまだに心に残っていて自分の心を駆り立てているのかもしれない。あのとき「自分にできることなんてないのだ」と静かに絶望していた14歳の自分は、30年後の自分を見てどう思うだろうか?
「それも悪くないね」って思ってくれたら、この人生もなかなか悪くないんじゃないか。そんなことを思っている。