【職人魂🔥】「おっちゃん」の仕事を見て聞いて痺れた話
<おじさんDX Vol185>
通称「おっちゃん」と呼んでいる人が居ました。
人生の大先輩で尊敬と親しみを込めて、そう呼ばせてもらっていましたが、当時の「おっちゃんの」仕事を見て聞いて痺れた話を記事にしてみました。
✅おっちゃん
おっちゃんは、職人(自動車鈑金職人)
鉄板とハンマーで車のボディーを修復、作成するのです。
部品が製造中止になっていないなら部品交換で済みますが。部品がもうこの世にない車に関しては、1枚の板から作るしかないのです。
ただの鉄板(ボンデ鋼鈑)が、見る見る内にボディー形状になっていく....。
その様は、まるで魔法のようでもありますが、膨大な労力と培ったセンスが必要なのです。
私が出会った頃のおっちゃんは60歳位でした。
ハンマリングと言われるひたすら鉄板を叩く作業は、体力仕事です。
鈑金職人ともなると引退も考えても良い頃でしたが、おちゃんもその事は、意識していて「あと10年だけ」と日頃から言っていました。
✅10年をどうするか
生前おっちゃんは、おそらく70歳で引退を考えていた様子。
状況にもよりますが、ビンテージカーともなると、それこそ1年どころか3年以上も修復にかかる場合もあり、入庫する全部が全部そうした車ではありませんが、おっちゃんが考える仕事は、
「あと10年という年月から、逆算していたのです」
✅商売の仕方を変えた
まず、おっちゃん自身が、保険修理での入庫作業を辞めたのです。
自動車板金屋は、事故修理の際に保険会社経由で入庫する事が多く、そうした車の場合は大抵、お弟子さんが修理できるレベルの車でおっちゃんの限られた時間であえて行わなくても良かったのです。
ここの工場には、お弟子さんが数名いることも方向転換出来た理由です。新規で工場となると、それこそ場所から設備と初期投資が多く、若い職人にとっては、これが独立に際し大きな壁なのです。
おっちゃんは、鈑金職人を目指す若者に工場を遠慮なく使わせ利用料金も取らず、技術は盗み放題なのです。
この工場で育ち独立した職人達曰く、おっちゃんには全く敵わないとのことでした。
商売としては、不正解ですが「自分の信念」に嘘をついてまでしたくない。
自分の作品をどれだけ残せるかに賭けたのです。
ですから、おっちゃんに依頼する際もハードルが高い。
「どの位の想いが、その車に込められているか」が重要なポイントとなりました。
全く関係ないのです。
✅エピソード1
当時私は、不注意で愛車のフロント周りを大破した事があります。
私もこれにはがっかりし、食事ものどに通らなくなったのですが、愛車は、大衆車で修理よりも状態の良い車に買替えをした方が良いレベル。
廃車も検討しましたが、長年の愛車です。
車を見ると
と聞こえたような気がしたのです。
余談ですが、この車は、単身赴任時に私を雨の日も雪の日も移動に活躍してくれた戦友です。手塩にかけたのもあって調子良く、気のせいかも知れませんが、私の状態と車がリンクしているような奇跡的な経験もしています。
おっちゃんにその事を言うと
おっちゃんの工場は、常に入庫がビッシリでした。勿論おっちゃんは、他の仕事で手が空いていませんので、たまにしか私の車に触れません。
やがて、おっちゃんの好意で工場を間借りし、自分の車を修理することにしたのですが、ド素人な私。
とりあえず部品を交換し強引に形にしたのですが、それを見たおっちゃんは「1週間車を置いて行け」というのです。
✅エピソード2
ある日、見知らぬ夫婦が、おっちゃんのところに来ました。
車は、やや年式の古い車でしたが、まだまだ市場に中古車で流通している珍しくもない車です。ボディーの手入れが悪かったのか、各所に錆が出ています。
と、その夫婦は言うのですが、私はそれを見て、修理をするよりも購入した方が早いし、安く済むと思っていました。
おっちゃんの意見もそうでした。
他店で断られて、おっちゃんの事を聞いてやってきたようです。
その夫婦も余程思入れがあるのでしょう。
すると、さっきまで険しい表情だったおっちゃんの表情が、にこっと。
夫婦は何度も頭を下げて帰っていきました。
納車時に夫婦は、新車以上になったその車を見て涙を流していたそうです。
✅終活
そんな営業を5年くらいやっていたおっちゃんですが、段々と体力が無くなったのか、作業をせずに工場を休む日が、増えてきました。
長年の重労働で体は、もう限界を越えていました。
それでなくとも早朝から深夜まで作業に没頭していますから、通常ではありえない位に納車が早いのです。
そう言って、優しく車のボディーを撫でるのです。
おっちゃんは、体が痛むのでしょう。
ハンマリングする度に険しい表情でしたが、一心不乱に作業しています。その様子は、とても60代半ばとは思えない。
心配したお弟子さん達や私の説得もあり、その後数年間はペースは落ちたものの、職人魂がそうさせるのです。
会うたびに
私はその返答をはぐらかしました。
おっちゃんは冗談で「人生の最後の仕事が、私の車を仕上げる事」と言うからです。すごく有難い話ですが、ここで仕上げてしまうと、本当におっちゃんが居なくなるような気がして...
後に知る事になりますが、おっちゃんは、確実に自分の最期を知っていたのです。奥様と私とお弟子さん達に分厚い封書を残していました。
そこには、おっちゃんが居なくなった後の事が、詳細に書かれていました。
会社のこと、お弟子さんのこと、お金の事、その後の処理のこと。
まさに完璧な終活だったのです。
私宛の封書には、
忙しい最中、少しずつ手を加えてくれた事、わかってますよ❗
この車だけは、目をつぶって乗っても分かるくらいしっかりしていますから...。
ありがとう!おっちゃん!
あなたの職人魂🔥の結晶は、今も生きています❗