ー人生は自ら作り、変えていくことができるー【井植歳男(三洋電機創業者)】『日本の名言100 』34言/100言 解説
今日も記事を見ていただきありがとうございます!
世界では今もどこかで「名言」が生まれています。そんな中で私たち日本人の偉人が残した名言にはどんなものがあるのでしょうか?
私は、昔から名言や偉人が好きで、趣味で多くの偉人や名言を調べてきました。目にした名言の数は軽く1000は超えます。
その経験を活かし、「名言から元気をもらいたい方」「偉人が好きな方」「過去の偉人の経験から学び、今の自分を変えたい方」に対して、このnoteを書いています。
このnoteのシリーズでは、
『先人の教え✖️賢人の知恵 日本の名言100』(総合法令出版株式会社 著者:木村進氏)に載っている日本人が言った「100の名言」について、1つのnoteで1言ずつ紹介していきます。
その際に、「名言の紹介」と「名言の意味と背景」、「現実生活での活かし方」を書きました。私は、名言を聞いて、現実生活で活かしてこそ本当の意味があると思うのです。
皆さんも是非、名言を聞いたら、現実生活でどのように活かせるか?まで考えて本noteを活用していただければ幸いです。
それでは早速名言の解説からいきます。
【井植歳男(三洋電機創業者)】名言
名言の意味と背景
三洋電機はパナソニック(旧松下電器)に吸収されてしまいましたが、そもそも井植歳男は松下電器の創業者、松下幸之助の義弟であり、体が弱くて休みがちだった義兄を支え、専務として活躍した経歴があります。
戦中・戦後の日本の経済発展には、二人の存在が欠かせないといっても過言ではないでしょう。
松下氏はタイム誌が哲学者として取り上げたように優れた人でありましたが、井植氏も男の中の男として部下たちに慕われ続けました。
「遊ぶ社員ほど仕事ができる」
と明るく楽しく暮らすことを重要視していました。遊ぶことが仕事へのバイタリティーとなり、仕事のできる社員が生まれると考えていました。
井植氏の性格の明るさが、会社の明るさにつながっていたのでしょう。
惜しくも早逝でしたが、松下氏のように長寿であったサンヨーのその後の展開は違ったものになったはずです。
運命とは不思議で、体の弱い松下が長生きをし、体が頑丈であった井植が短命でした。
運命は自らが作るという二人の大経営者の活躍によって、戦後の日本人は大きな自信を持つことができたのです。
現実生活での活かし方
ここからは、この名言を「現実生活で活かしていくとしたらどうするべきか?」を話していきます。
この名言を現実生活で活かすのであれば「逆境が来るたびに、『楽しい』と口ずさむ」ということになるでしょう。
なぜなら、人間は行動が先にあって感情が後からついてくるということが、一部研究から明らかになっています。
例えば、「オープンフォーラム」というレポートBruna Martinuzzi氏は、口のようなことを言っています。
だからこそ、
・なぜか自分だけ仕事を多く振られる
・身内の不幸や自分の病気が立て続けに起こる
・仕事もプライベートも何もかもうまくいかない
と思っても、とりあえず「楽しい」と口ずさんでおきましょう。
そうすることで、この辛い状況の中にも何か楽しいことがないかを勝手に探し始めます。
結論として、
逆境が来るたびに、『楽しい』と口ずさむ
これが現実生活でのこの名言の活かし方だと思います。
まとめ
今回は、『先人の教え✖️賢人の知恵 日本の名言100』(総合法令出版株式会社 著者:木村進氏)に載っている100の名言の1つとして、
【井植歳男(三洋電機創業者)】の名言
を紹介しました。
今回の名言の意味と背景は、【性格の明るさは周りにも伝染する】でした。
また現実生活での活かし方は、【逆境が来るたびに、『楽しい』と口ずさむ】になるでしょう。
また名言を聞いて、それで終わってしまっていてはもったいないと思います。説話を活かすためにも、是非「現実生活での活かし方」を参考にして、行動してみてください。
もし不明な点があれば、コメント欄での質問もお待ちしています。
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最後まで見てもらって、本当にありがとうございました。
また次の記事で会いましょう!
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