シャカイという影に蠢くもの

ニンゲンは、愛を知らなかった。ただ、恋をしていた。

恋とは、相手に幻想を投影し、「こうあってほしい」と願うことだった。

恋とは、相手を自分の世界の一部に組み込み、そこに意味を求める行為だった。

だが、ニンゲンは自分自身のことすら分かっていなかった。

自分の存在が何なのか、どう在るべきなのか、その答えを持たなかった。だからこそ、彼らはシャカイとタシャを求めた。

シャカイ──ニンゲンが作り出した怪物

シャカイは、ニンゲンたちの視線によって作られた巨大な怪物だった。

「シャカイが決めている」
「シャカイが私たちにこうしろと言っている」
「シャカイの規則には従わなければならない」

そう信じることで、ニンゲンは自分の在り方をシャカイに委ねた。

シャカイは本当に何かを決めているのだろうか?

いや、シャカイは何も言わない。ただ、そこにあるだけ。

それなのに、ニンゲンたちは自らの行動をシャカイの意志にすり替えた。「シャカイがこうしろと言った」と語ることで、自らの責任から逃げた。

シャカイの影の中で、ニンゲンたちはモゾモゾと蠢きながら、自分の正しさを確かめ合い、争いを続けた。

タシャ──視線を投げてシャカイをつくる他者

ニンゲンはタシャを見つけると、すぐにこう思った。

「タシャも私と同じだ」
「タシャは私を理解してくれている」
「タシャもきっとシャカイを怖れている」

だが、それは錯覚だった。タシャはただの他者にすぎなかった。

タシャは害虫ではなかった。ただ、何かを言っていた。

しかし、ニンゲンはタシャのコトバを理解しなかった。だから、勝手に自分なりの意味を与え、「なんか、よく分からないけどタシャもきっと自分と同じ気持ちだ」と信じ込んだ。

そして、タシャの視線が何か言いたげなのに気づくと、今度はこう言い始めた。

「タシャは私を軽蔑しているのか?」
「タシャは私を見捨てたのか?」
「タシャは敵なのか?」

ニンゲンは、タシャに対する幻想を持ち続けなければならなかった。

そうでなければ、孤独に耐えられないから。
だから、タシャが何も思っていないにもかかわらず、彼らは勝手に仲間にしたり、敵視したりを繰り返した。

ニンゲン同士の争い──シャカイとタシャを武器に

ニンゲンは、お互いを認め合うことができなかった。

いや、認める必要がなかった。

彼らは常に、自分の立場を守るために、他のニンゲンを決めつけ、シャカイやタシャを武器にした。

「お前はシャカイのルールに反している!」
「シャカイは君を治療するか裁くだろう!」
「タシャはお前の味方じゃない!」
「タシャと私の考えは一致する!」

シャカイは何も言っていない。

タシャも何かを思ったが、ニンゲンには伝わっていない。

だが、ニンゲンたちはそれを利用し、互いに争い続けた。

クチャ──蠢く害虫たち

争いのさなか、一匹のニンゲンがシャカイの足元で立ち止まった。

「タシャ、君も僕と同じだよね?」

そう言って振り返った瞬間、シャカイの巨大な指が降ってきた。

クチャ。

何のためらいもなく、ニンゲンは潰された。
まるで、そこに何もなかったかのように。

だが、そのすぐそばで、別のニンゲンたちがモゾモゾと動き続けていた。

「タシャ、やっぱり僕たちはわかあえるね」
「シャカイは私たちを見守ってくれている」
「私たちはシャカイの一部なんだ」

彼らは幻想を語り合い、
タシャという他者に寄り添い、
シャカイに恋をしながら、
群れをなし、蠢いていた。

そして、またひとつ、指が降りてくる。

クチャ。

争っていたニンゲンたちが次々と潰れていく。
しかし、それを見ている残ったニンゲンたちは、そこから何も学ばない。

「ほら見ろ! これこそシャカイの罠なんだ!」
「タシャはやっぱり私を見捨てたんだ!」

そうやって、彼らはまた決めつけ合いながら、モゾモゾと蠢き続ける。

クチャ。

クチャ。

クチャ。

やがて、そこには何も残らず、ただ、シャカイの影が静かに広がるだけだった。

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