双翼の時代:変化と矛盾に向き合うために
現代社会を見渡すと、あらゆる分野で矛盾が噴き出しているように感じます。政治、企業、宗教、文化、軍隊、医療、警察――そのどれもが、かつて信頼の柱だったはずなのに、いまや多くの人々がその存在意義に疑問を抱いています。そして私たちもまた、無意識にその矛盾を支え、見て見ぬふりをしているのかもしれません。
例えば、政治や企業の在り方を考えれば、無駄や悪意、既得権益にしがみつく構造が目に付きます。膨大なデータや研究が提示されているのに、それを無視して同じ過ちを繰り返す様子には、もう少し賢明に変われないのかという苛立ちを覚えます。天動説が科学の進歩によって淘汰されたように、古い慣習や悪習も、データや理性によって修正されるべきです。しかし、現状はどうでしょう?変化を恐れる力が働き、効率や倫理を無視した無駄なシステムが維持されているようにしか見えません。
宗教も、かつては人々の心の支えや倫理の指針でしたが、いまや文化的な役割を超えるものではなくなりつつあります。軍隊もまた、ただの「合法的な暴力装置」と化しているように感じます。確かに国家を守る名目で存在していますが、その裏側には犠牲や矛盾が隠されています。こうした状況に対して、多くの人が「本当にこれが必要なのか」と疑問を抱くのは当然でしょう。
食文化に目を向けても、倫理的・持続可能性の観点から問題が残るものが多々あります。例えば、フカヒレやフォアグラの生産過程を知れば、その美味しさの裏にある残酷さに目を背けることはできません。これらは「文化」として擁護されることが多いですが、それだけでその存在を正当化するには無理があると感じます。
さらに、政治家や医者、警察官といったかつての権威的な職業に対する信頼も揺らいでいます。「裏では不倫や不正をしているのでは?」「人をモノのように扱っているのでは?」という疑惑が、常に頭をよぎるのです。既得権益に固執し、失敗を誤魔化し、変化を拒む姿勢を見るたびに、「もう少し愛や倫理をもって行動できないのか」と思わざるを得ません。
こうした状況を見ていると、「左に舵を切る」――つまり、より倫理的で、持続可能性を重視し、人々の幸福を中心に据えた変化が必要だと感じます。それは、ただの理想論ではなく、すでに多くのデータや研究がその必要性を示しています。古い価値観や権威に縛られるのではなく、柔軟に変わるべきときが来ているのではないでしょうか。
しかし、私自身も矛盾を抱えた存在です。自分の中にある迷いやジレンマが、こうした社会の矛盾に過敏に反応しているのかもしれません。けれど、その矛盾を認識し続けることが、変化への第一歩だとも思います。
皆様はどう思いますか?矛盾を抱えたまま、現状維持を選びますか?それとも、変化することの難しさを受け入れつつ、新しい方向性を模索しますか?問い続けること自体が、変化と発見の道だと私は思っています。