子供の頃の居場所
定期的にふと思い出す。
家の裏にある駐輪場。
そこは雑草が生い茂っていて、コンクリートだらけの街の唯一緑がある場所。
学校にも家にも居場所がなく、友達もいなく、人間という生き物が嫌いだった小学生の頃。
学校が終わってそのまま家に帰るのも嫌だったので、
日が落ちるギリギリまでその場所にいた。
私がその場所へ行くと、オッドアイの尻尾の短い白猫がいつもお出迎えをしてくれた。
猫だとか人間だとか区別していなかったので、人に触られたり干渉されることが嫌だった私は、その猫を撫でることも愛でることもしなかった。
ただその辺に生えている木のように、
ただその子の存在を認識しているだけだった。
なのに何故か懐かれていたのか、その場所にいる限りその子は私の横にずっといた。
私もその子の隣で仰向けに寝転んで、ただぼーっと毎秒形を変える雲を眺める。
風が吹くと、風と共に揺れる草木たち。
風に乗って漂ってくる毎日変化する香り。
土の水分が服越しに伝わってくる。
ヒラヒラと舞う蝶々が私の身体にとまった。
その時は私も自然の一部となっていて、自分という存在がこの場所にいてもいいと、生きていてもいいと、
風が、土が、草が、猫が、虫たちが、言葉を交わさずとも肯定してくれている気がした。
何処にも居場所なんてなかった私の、
唯一存在してもいいと思えた場所。
今もふとした瞬間に、鮮明に思い出すことがある。
思い出すと堪らなく幸せで穏やかな気持ちになれる。
「幸せとは何か」の答えは未だに分からないけれど、
あの時間は幸せだったと胸を張って言える。
確実にあの時間が、私の擦り減った心を救ってくれていた。
今となっては雑草は定期的に刈られていて、土はコンクリートのように固くなっているし、オッドアイのあの子ももういない。
寂しさはあるけれど、もうあの場所に寝転がらなくても大丈夫。
死に際の走馬灯ではあの時間を思い出して幸せな気持ちで逝きたい。
そんな、私の心の中でこれからも存在し続ける大切な居場所。
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