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【解体ショー】幕開け

はじめまして。

ここで何を書いていくのか、目標など何も定まっていませんが、何だかわくわくしてきたのでその温度感のまま始めてみました。


軽く自己紹介をするならば、
・クローゼットの中身は9.5割、黒。
・食に対する興味なし。物欲なし。
・人への興味も基本的になし。
・断捨離大好き。
と、衣食住に無関心なまさに"さとり世代"でございます。


しかし早くも前言撤回。無関心とは真逆も真逆。

好奇心と探究心と負けん気は人一倍強く、この3つが私を動かす動力源です。
この動力源、なかなかコントロールが難しく、小学生の時に好奇心に脳が支配されるあまり切腹しそうになったぐらいです。

その話は追い追い…


さて、そんな矛盾だらけで手懐けるのに20年は掛かった生き物を一緒に解体していってみませんか?


それでは、解体ショーの幕開けです。



私は俯瞰で見過ぎてしまうことがよくある。

地球上全ての生き物を食物連鎖のピラミッド型ではなく、平面で見ている。

道端に咲いている花を「花」と認識するように、私は人間を「人間」としてしか見ていない。


なぜ俯瞰で"見すぎてしまう"という表現をしたのかというと、遡ること13年ほど前。
小学生の時、友達の飼っていたハムスターが死んだらしく一緒に土に埋めることになった。

埋め終わった後、その子はお供えと言って近くに咲いてある花をちぎって、ハムスターが埋められた場所にその花を置いた。

私はその一連の行動を見て強い嫌悪感を抱いてしまった。
死体に供えるためだけに、今"生きている命"を無慈悲に殺したその行動が信じられなかった。

当時、小学生の私にはとても受け入れ難かったのだ。


殺人事件のニュースを見て「可哀想」と言いながら
「気持ち悪い」という理由でゴキブリを殺し、
「うざい」という理由で蚊を殺す。

私は心底人間という生き物が嫌いでとても軽蔑していた。

そんな風に全ての命を平面で見ているため、花は踏めないどころか、草むらも歩けず、落ち葉ですら踏めなかった。
今思えば異常だ。


そのせいか、外でのかくれんぼも苦手だった。
木の後ろに隠れる時も、木の根は踏めないのでぴょんぴょん避けながら木の後ろに行くが、しっかり隠れるためには木に引っ付かないといけない。

「すみません…かくれんぼしてて…ちょっと触りますね…」
と心の中で話しかけて木に触れると、風が吹いてガサガサガサと葉が擦れる音が鳴り響いた。

何だか私は自分よりも何倍も大きい生き物に怒られているように感じ、
「そら、知らん奴に触られるの嫌ですよね…ごめんなさい!」
と言い残し木の裏から出た瞬間鬼に見つかり、もう隠れなくて済むと心底安心した。

それ以来その公園には近づけなくなるほどのトラウマになった。


当時は周りとの認識の差についていけなかったが、今では「きもい」という理由でゴキブリを殺している人を見ても、
「弱肉強食、自分の縄張りを守ってるだけ。動物として至極当然。」
と受け入れることができるようになった。

因みに私は「きもい」という理由でゴキブリを殺したことはない。
「実験」という理由で殺したことはある。

…あれ?偽善者とは私のこと?
好奇心とは時に恐ろしいものですね。


皆さん、ゴキブリには体に小さな穴が複数空いていて、そこで空気を取り入れているらしいので洗剤で塞ぐことによって窒息死するみたいです。

ゴキブリはほぼ不死身と思っていましたが思わぬ所に弱点があるんですね〜。

因みにこのやり方は、病原菌が出てくるとかどうとかで危険らしいので真似しないように。

それではまた。

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