次の乾杯では、思い切って告白しよう。
銀行や携帯など暗証番号を設定する機会は多い。
誕生日や記念日を設定する人が多い傾向があるが、私は何年も前から「ある日」を設定している。
後にも先にも、誰かに会えてうれしかった日と言うのは4年ほど前のあの日しかない。
腐っていた時期
誰にも許容されていない気がしていたあの頃。とにかく誰かに話しを聞いてほしかった、SOSを出すことが出来ず人を傷つけ、それ以上に自分を傷つけていた。もちろんそれは大人が嫌うもので、徹底的に怒られ指導され呆れられていた。
彼女を除いては。
もがき続けていたあの日々、やりたいこともなく目標もなく反抗するだけ。集団でトップクラスの成績をとることで、文句を言わせないという間違いなく性根から腐っていた。人を傷つけることに何の感情もわかず、自分を保身するために次々と人を攻撃していった。でも世の中っていうのはうまくできていて、そんな脆い糸でつないでいるものはすぐに切れる。そしてその槍は自分に向くようになる。
思い出したくもないくらい暗く最悪な日々だったことは間違いない。それは自分がやってきたことの報いであることは間違いないのだけれど、耐えがたい苦痛だった。そんな時、彼女は私に声をかけた。
「いつも頑張ってるね。何かあれば言うんだよ。」
それは仕事として当たり前の発言だったのかもしれない。毎日色々なものを繋ぎとめようともがき、しがみついていたことを誰もが見てみぬふりをした。面倒なことに巻き込まれたくない大人のやる手だ。でも彼女は違った。私を責めるわけではなく、まるまる認めてくれた、受け入れてくれた。
以降、自分を見つめなおし少しずつ少しずつ更生した。そしていつしか私を救ってくれた彼女のようになりたいと思い、その景色を見たいと思い必死に努力をした。
最後の別れを告げた時
いつまでも彼女の優しさに甘えていたかったが、そうはいかない。別れの季節が来た。自分がどうにもしんどかった時に助けてもらったこと、感謝の気持ち、そして自分も同じようになりたいことを文字にして伝えた。
次のステップに進めるとわかったとき、彼女はものすごく喜んでくれた。よく頑張ったと褒めてくれた。あなたは頭がいいからなんでもできるよ、といってくれた。
「こちらこそありがとう。気持ちが沈んだ時、あの手紙が励みになっているよ。頑張ってね。」
そういって私たちは会うことがなくなった。
はじめての乾杯
その後、気持ちも入れ替えてがむしゃらに青春時代を過ごしていたらひょんなことから再開となる。知り合いの知り合いがつないでくれるという奇跡。
初めての「乾杯」はこの時だった。
私はまだアルコールを飲むことが出来ない年齢で、ウーロン茶。まさかの彼女も気を使ってウーロン茶。中華屋さんであったことは覚えているが、夢のようで詳細まで覚えていないのが残念。夢みたいだなと思ったその日が私の一生忘れられない日。
いつもいつも彼女は私の背中を押してくれる。
「いつも前を向いて進みなさい。後ろを振り返るのは後でいいから。」
今に至るまで1番大切にしている言葉は、乾杯の席で出会ったものだ。やっぱり私の進む道は彼女の背中を追うことだ、と決意をしたのは言うまでもない。
今も会えない日々
その後、いろいろあり彼女の背中を追うことは一度諦めた。ギリギリまで追い求めていたものの、それ以上に挑戦したいことがあったのだ。それは前を向いて進んでいるから、彼女も応援してくれるだろう。後ろを振り返ったときに戻りたくなれば、戻ればいいと思っている。
オンラインでやり取りをする接触点はあるのだが、連絡を取ることはない。それは物理的な距離の問題もあるし、今のふがいない自分の姿を見せるわけにはいかないというプライドなのかもしれない。
だからもう少しだけ頑張った後は、もう1度乾杯をしたい。
「いつも頑張ってるね。何かあれば言うんだよ。」
と言ってもらうために。
そうしたら次は言えるだろうか、
「先生もいつも頑張ってるじゃないですか。次の乾杯はいつにしますか?」と。
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