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少年トムの怪奇事件簿1『ウェールズの古城にて(了)』
【了、妖精の主】
「トム、ダメだよ、そっちに行っちゃ」
「!?」
突然、背後から聞こえたその声に、トムはびくっと体を震わせて、恐る恐る後ろを振り返る。
すると、そこに立っていたのは、先ほど、石畳の坂で出会った、鷲鼻の老紳士だったのだ。
「え?・・・・あ」
驚いた顔をするトムに、老紳士はまたにっこりと微笑むと、崩れかけた城門を背景にして、彼は静かな口調で言う。
「あぁ・・・でも、よかったねトム。
妖精達はね、トムの本当の名前を知らないから、連れていけなかったんだよ」
その言葉と同時に、ざわり・・・と、一際強い海風が、荒れ果てた庭の高い草を揺らした。
次の瞬間、低い海鳴りの音も、虚空を駆ける高い風の音もぷつりと途切れる。
一瞬の静寂に気づいたトムは、目を丸くした。
「えっ?!」
トムが素っ頓狂な声を上げると、途切れていたはずの海鳴りと風の音が不意に戻ってくる。
老紳士は、そんなトムの顔をまっすぐに見つめると、やけに穏やか表情で、しかし、少し低めたような声で諭すように言葉を続けた。
「さぁ、もうこっちにおいで。
ホストマザーの所に帰ったほうがいい。
今日はもう帰りなさい。」
その言葉は、穏やかな表情と声色で紡がれた言葉だった。
そもそもトムは、この古城になんの違和感も恐怖も感じていなかった。
しかし・・・何故だろう、老紳士のその言葉が、トムの背中にぞくりと冷たいものを走らせる。
もしかしたら、此処には、本当に目に見えない何かがいて、本来なら来てはいけない場所なのかもしれない・・・
第六感のような本能のような感覚が、そうトム自身に訴えかけてくる。
だから素直にトムは答えた。
「あぁ・・・わかりました、じゃあ、もう帰ります」
「うんうん、その方がいい。
城門の先まで送っていくから、一緒に行こうか」
「ありがとうございます」
潮の香がする風の中を、トムと老紳士は並んで城門の方へ歩いていく。
断崖の下に打ち付ける波の音。
曇った空の最中を、鳴きながら通り過ぎる海風の声。
まるで、何かを訴えるように、風の手はトムの黒い髪に触れて通り過ぎていく。
トムはふと、崩れかけた城門の向こうに見える、くすんだ藍色の海に視線を向けた。
もちろん、そこには何者の姿もない。
だけど・・・
何かを感じかけていたトムであったが、その時、すでに彼の足は城門の先まで進んでいた。
何かが気になって、トムは、古城の方を振り返る。
「・・・・・。」
そんなトムに向かって、三度穏やかに微笑むと、老紳士がは言うのだ。
「じゃあ、気を付けてホストファミリーの所に帰るんだよ」
「あ・・・はい、ありがとうございました」
「機会があったら、また遊びにおいで」
まるで、この城の主であるかのようなその言葉に、ほんのわずかな違和感を覚えたトムだが、彼は素直にうなづいた。
「はい」
このじーちゃん、なんか変なじーちゃんだな・・・そんなことを思いつつ、トムは老紳士に背中を向けて、坂の下へと歩き出す。
海風にざわめく夏草の音。
傾き始めた太陽の光。
曇る空の最中で、また海風が鳴いた。
「あれ・・・?」
その瞬間、トムはふとあることに気づく。
先ほどの老紳士は、トムにむかって「ホストファミリーの所へ帰りなさい」とそう言った。
しかしトムは、自分が留学生でホストファミリーの元で生活しているなんて一言も言っていないのだ。
家族の海外赴任で英国に来ているかもしれないし、長期の旅行かもしれないのに、あの老紳士の口調は、ホストファミリーの存在を確信しているような口調であった。
なんであのじーちゃん、俺がホストファミリーとここに来てるのを知ってたんだろう?
ざわり。
石畳の道の両端を覆う、背の高い夏草が大きく揺れた。
トムは思わず、古城の城門を振り返る。
しかし・・・・
朽ちかけた城門の前には、もう既に誰もいなかった。
「え!??」
トムは驚いて足を止めた。
あちこち見回してみたが、やはり、そこにあの老紳士の姿を見つけることができない。
「え?な、なんで???」
老紳士は、トムを見送った後で、再び城の中に入っていったのだろうか?
石畳の坂のどこかに脇道でもあったのだろうか?
それとも・・・・
くすんだ藍色の海に白波が立つ。
曇った空で鳴く風の声。
あの老紳士の行方は知れないまま、トムはただ、呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
一体、彼は、何者だったのだろう・・・?
その前に、彼は、人間であったのだろうか・・・?
かの老紳士の正体は、ウェールズの古城に住まう妖精達しか知らないのかもしれない。
【END】