少年トムの怪奇事件簿2『迷家』
俺には霊感なんて大そうなものはない。
だから、人あらざるモノを見たり聞いたりすることは殆どない。
だけど、たまに穴に落ちたように変な経験をすることがある。
『迷家』
※
それは、まだトムが小学校低学年の頃だ。
複雑な家庭の事情で、トムは、普段は父方の祖父母の家から学校に通い、週末になると両親と二人の妹が暮らす母の実家に泊まるという、だいぶ闇深い生活をしていた。
母の実家は山間の集落で、舗装もされていない狭い砂利の林道を登って辿りつく場所だった。
いつもは父方の祖母が車で送ってくれるが、たまに学校から直接歩いて母の実家にいくこともあった。
歩いて行く時は大概友達が一緒。
わいわい騒ぎながら、木々の生い茂る林道を歩いて帰る。
その林道に沿いには沢があり、杉林を越えた先には天然の白樺の森がある。
その白樺の森にさしかかるたび、トムは、生い茂る木々の合間に立派な門構えの大きな日本家屋を見ていた。
黒ずんだ荘厳な木の門はいつも閉ざされていて、中に誰が住んでいるのかもわからない。
不思議なことに、車でそこを通過するとその屋敷は見えないのだが、徒歩で通過すると確実にそこにある。
そんな謎めいた日本家屋に、一体誰が住んでいるのか気になったトムは、ある日、母方の祖母に聞いてみた。
「ばーちゃん!沢の白樺んとこにあるでっかい家には誰が住んでんの?」
すると祖母はきょとんと目を丸くしてこう言った。
「何言ってんの?あんなとこに家なんかないよ?」
「え!?そんなことないよ!絶対あるよ!」
子どもだったトムは祖母の言葉に納得がいかず、その真意を確かめるため、愛用の自転車にまたがった。
必死にペダルを漕いで、例の白樺の森まで辿りつくと、トムは愕然とした。
鳥の鳴き声と、沢の音が響き渡る白樺の森。
沢の向こうに生い茂る木々の合間には、あの荘厳な黒く立派な門構えはなかった。
ただ、草と木々に薄暗く曇る森の風景だけが広がるだけだった。
それから数年が過ぎ、トムは小学校高学年になっていた。
白樺の森の日本家屋のことなど、その頃にはすっかり忘れてしまっていた。
小学生最後の夏休み。
トムは自転車に乗り、商店街の友達の家に遊びに行っていた。
遊びに夢中になって時間も忘れ、気づけば18時を過ぎていた。
トムは慌てて友達と別れ、母の実家へと向かう。
盆も近い夏の夕暮れ。
空の果てが茜色に染まり始める時刻。
大気の水分を含む鮮やかな茜が、紺色の夜空を導く逢魔が時だ。
薄暗い林道をトムは自転車を漕いで急ぐ。
山間の集落に帰るのだ、すれ違う人はおろか車すらない。
生い茂る木々の合間に響き渡るひぐらしの声と、夏のぬるい風。
沢の音が近付いてきて、杉林が開けると、そこにはあの白樺の森がある。
ざわざわと、木々が揺らいだ。
ひぐらしの声がふと遠くなり、沢を流れる水音だけが辺に響く。
トムは、なんとなく気になって、ふと、白樺の森の中に視線を向けた。
すると、いつかみた立派な門構えが、再びそこに佇んでいたのである。
それは、以前よくこの場所で見ていた、あの立派な日本家屋の門であった。
「あっ…!」
よせばいいのに、何故かトムは自転車を停めた。
薄暗い白樺の森に、ぼんやりと2つの光が灯っている。
それは、荘厳な黒い門構えの両端に据えられた、大きな長提灯だった。
「提灯??」
トムは道端に自転車を置いて、思わず沢の方へ近寄った。
沢を渡らないと、例の門構えの日本家屋には辿りつけない。
トムは靴を脱いで裸足になると、脱いだ靴を片手にもって、夏場でも冷たい水の中に足を入れる。
沢の音と、木々を揺らす風の音。
ひぐらしの声はぱったりと止んだ。
沢を渡り、靴を履き直して屋敷に近付いていく。
トムの背丈ほどある夏草が、まるで行く手を阻むように鬱蒼と茂っている。
がさがさと草を掻き分けて進むと、長提灯が吊るされた門が、50cmほど開いていた。
長提灯には稲を模した家紋が描かれていて、ゆっくりと点滅するような光が提灯の中で揺れている。
何かを訴えかけるように、ゆらゆら、ゆらゆら、提灯の火が揺れる。
トムは、恐怖より好奇心に駆られ、開いた門の中を覗こうと足をすすめた…
その時、ざわりと白樺の枝が音を立てた。
トムは思わず、門へと向かおうとした足を止めてしまう。
沢の音が一際大きく周囲に響き渡り、その音が、何故か人の話し声にも聞こえた。
トムはハッとする。
とたん、トムの胸の中にいい知れぬ恐怖が湧き上がってきたのだ。
ここはやばい場所かもしれない…!
トムは慌てて踵を返し、靴を履いたまま沢を渡って、自転車のところまで走る。
スタンドを蹴り上げて、逃げるように家へと自転車を走らせた。
それ以来、トムが白樺の森でその家に遭遇することは一度もなかった。
遠い時間の彼方に埋もれていたこの記憶。
あの立派な黒い門構えを備えた日本家屋には、一体、何者が住んでいたのだろうか?
それは未だに謎のままだ…
【END】
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