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竹藪消えた

二週連続で竹拾いと水場 月曜 日曜の夜は
何となく寝つかれなくて しかし月曜の朝の眠気
を振り切ると寝不足も気にならなくなる 新しい
8寸切り 24センチの三本継の竿の 仕上げが
まだ途中ではあっても 少しペタつくカシュー塗料
の 上から速乾塗料を塗り重ねてしまう いずれ
もう一度塗り重ねることになるとして 竹を矯める
時に少し火に焦がしてしまった それを目立たな
く塗ることはきっとなされ それで一応気が済む
までそれは途中で

古井由吉の妻隠 という小説を読んだ 難しい
と思って読まず嫌いだったのを少し悔いるくらい
に古井由吉はなかなかいい つまごみ と読む
どういう意味だろう 特にドラマチックでもなく
人も死なず しかし何だか思わせぶりで 奇妙な
読み味の小説だった あほな男たちが出てくる
男たちに主人公の妻が酒を飲まされる 妻も
よろんで酒を飲む その様子を部屋から見てい
る 変な話だ やらせてください と土下座する
男も語られる 先生 純文学の泰斗のようで
結構俗 その純と俗の溶け合い具合が好みだ
当分読み継ごうと思える作家になった

正午少しすぎに家を出て 水場に行く途中の
低地の竹やぶに竹取に寄ったところ 竹のほと
んどが切り倒されていた あっとおもって切って
倒された青竹を踏んで すっかり枯葉になって
しまった土の上に それでもまだ枯れ竹が落ちて
いたので 急いで手ごろな長さにのこぎりを入れて
いく 竿のケースになるような太竹も何節か切り
出せた 手元や中継ぎの適切な太さの竹も確保
した 少し汗がにじんできて それにしてもまばら
ながらせっかく江戸前の竹やぶなのに 切株
だらけの地面を踏んで 竹の切り株は円形で
中が空洞だ などと今更のことを思ったりする

次の古井が届くまでに 舞城王太郎 阿修羅
ガール を読み始める 2003年というので今
からちょうど二十年前の作品だ 下の娘が生ま
れた 私がちょうど一番小説から遠ざかっていた
ころの作品だ 古井もそうだけれど 舞城も文体
が面白い こちらは俗の極みの中に人生の
真理めいたものがすわすわと差しはさまれる
この系譜 というかフォロワーの作家も私がよく
知らないだけでいるのだろう そのような影響
力はしっかり備えた作家だろう

前回特製の餌をカラスに持っていかれてしまった
ため 今回は米をつぶして餅状にしたものに
ホットケーキミックスとおろしにんにくを混ぜて
魚籠に仕込んで投げた ここのところ水が澄ん
でいたけれど今日は夏のように濁っている こ
の方があがりはいいがせっかく中途で持ち出した
竿はまた水見せには至らず 拾ってきた竹の
枝を日向にすわって枝落としした もう春だ く
る途中に河津桜は咲き乱れていたし紅梅も満開
になっていた 投資では日柄 という考えをする
けれど 日柄的には不十分だがもう春がなだれ
てきている 自然なんだから仕方がない 

昔安部公房に熱中した ほとんどの作品は文庫
で読めた 文体というより発想と筋立てで読む
作家かと思った よく 寓話的な作風と言われて
いたが そういえば師匠筋の石川淳にも不思議
な作品があって 教科書に載っていた 安部の
愛車は堤清二つまり辻井喬が代理店をしていた
西武自動車のサーブだったとのこと スウェー
デンの自動車メーカー たしか 村上春樹の
ドライブマイカーのカーがサーブだったかと思う
映画ではサンルーフになっていたみたいだけれ
ど 原作ではオープンじゃなかったか 四人乗り
のオープンカーはあるようであまりないというか
車種が限られる 古井も安部のように熱中でき
るか また 石川淳の長編にも挑戦したい

水場近くの笹薮で当分困らない程度の矢竹を
拾った 金に困らないという事ではなく竹に困ら
ないというのはどういう事なんだろう 別に竹に
困ったことなど今までないが これからもない
冬の日差しもそろそろ終わってもやっとした春
の陽がまた差してくる今年も 明るいうちに帰る
途中 来た道を帰ったらすっかりもう一つの竹藪
は更地になっていた おそらく私が入ったときは
作業の昼休みだったのだ 明日にずらさないで
よかった これで当分 江戸前の竹は手に入ら
なくなった

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