詩の脅迫
詩の脅迫
現代詩人に
あったのは
もう三十年前の事
直接会ったのは
10人に
満たない
手紙の
やり取りをした人も
数人
今は
いわゆる
大家となっている
ひともいる
本を送る
感想が来る
そういう手紙は
はがきは
捨てられない
亡くなった人も
いる
今は
書かなくなった人も
いる
田野倉康一
さん
ベテラン
現代詩を引っ張て来た
最前線のひと
大きな詩集を
黒い詩集を
ずしッと重い
面識ないが
FBではつながって
もらえた
気さくな人
という印象は
作品イメージからすると
ちょっと信じがたい
気やすくこんなこと言うと
不愉快かもしれない
田野倉さんの
FB投稿が
私の痒い所を
ぐりぐりする
書斎
執筆
そして
圧倒的な
アートの写真
詩人の眼を通じて
詩人の身体を借りて
何百もの
絵や
彫刻
オブジェを見た
芸術鑑賞には
ある程度の
教養は必要だろう
その部分を
詩人に凭れて
目がアートの膨大な画像を
どんどん取り込んで
いく
絵の言葉は
詩の言葉とは
ちがう
ちがうから
詩になれる
私が書くのは
詩ではない
絵でもない
しいて言えば
作文か
日記
そこに
すこし
詩的な色艶が
含まれるといい
そのねたをいつも
さがしてる
みるものきくもの
そういう意識で
二十歳からの
人生を
過ごしてきた
実際の経験も
重要ではあるが
実際でなくとも
そのとき何を思ったか
その時どんな風に
みえたのか
それが
艶出しに
もっとも
すべては
自分なりに
しなる
その自分なりが
美しく曲がる
か
どうか
読んだ本も
見た映画も
描かれた絵も
音楽も
いったんたわんで
身体から
出て行く
しなりのための
力加減を
保って
猫背を
そのうちに
感受
フラットになるか
折れてしまうか
そのときに
猫背は
なおるだろうか
直していいか
田野倉さんは
神出鬼没で
下町のギャラリーや
大きな美術館
美大
フットワークかるく
飛び回っている
どっさりと
絵や立体の
写真をかかえて
ダンプのように
それらを
ざあッとぶちまけて
くれる
おかげで
引きこもっていても
詩人セレクトの
自宅展覧会
を愉しめる
詩人のいる
美大のテラス
喫茶店
書斎
(田野倉さんと
知り合いというわけでは
ありません
遠い人です)
知り合いに
詩人が
いますが
私と詩は
親密なものでは
ない
脅されている
ようなものです