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<森山直太朗:『生きてることが辛いなら』>くたばる喜びとっておけ

画像引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/3746070/

※ブログからの引っ越し記事です。公開日:2023年9月9日

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。

余命1か月弱と診断された、愛猫・めいこの死期を見つめていると、森山直太朗さんの歌『生きてることが辛いなら』の歌詞の最後の一節「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」が思い浮かびました。

僕は歌手の中で森山直太朗さんが一番好きですが、この歌はリリース当時は歌詞がセンセーショナルなので、賛否を巻き起こしました。

「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」という冒頭の部分ですね。

「恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」という部分は、そのまま受け取れば確かに異議を唱えたくなるでしょう。

良い機会なので、僕なりの解釈をしてみたいと思います。

ちなみに、この曲の作詞は、森山直太朗さんの高校時代からの親友である、詩人・作詞家の御徒町凧さんによるものです。

神々しさを感じさせる歌唱力を持つ森山直太朗さんと、こうした深い詩が書ける御徒町凧さんの縁というのは、会うべくして会ったのだろうなぁと感じます。


悲しみの後に、三日で元通りになることが理想的

家族やペットなど、大切な存在が亡くなった時ほど、悲しみに暮れ、慟哭することはないでしょう。

なかなか立ち直ることが難しいかも知れません。

しかし、僕は歌詞にあるように、「三日も経てば元通り」になるのが理想的だと感じます。

亡くなった方の視点からすると、遺された大切な人がいつまでもメソメソする事ほど、心配で成仏しにくいことは無いのです。

「いっそ小さく死ねばいい」というのは、自分が死んだ後の大切な人々の反応を説明するための、「一度、自分が死んだ後のことを想像してごらん」という、前振りに過ぎないでしょう。

真面目に生きた方なら、死んだ後はこの世の”苦”から解放されて、重く不自由な肉体を抜けて”楽”になります。

霊体になった直後は”死後”があることに戸惑いを感じますが、時期に”元々居た霊界”のことを色々と思い出して、約49日間の人生の総括を終えると、迎えに来たご先祖様方と一緒に霊界へと旅立ちます(成仏)。

自我がなく純真無垢な動物は、死ねばそのまま元居た神界に戻って行きます。

これは霊界のことを知り尽くした仏教やチベット密教、歴史的な大霊能師が持つ共通認識であることからも、絶対的な事実であると考える方が自然です。

2年前に亡くなった僕の叔父も、癌により一度死線をさまよった時に、あの世を垣間見たと話しており、そこには三途の川が流れており、先に亡くなった大切な人達が居たそうです。

死地から戻った叔父は、死ぬその時まで「くたばる喜び」を感じているように、ギターを弾き、歌っていたと母から聞いています。

エンジニアとして農協システムを創り上げた功労者で、占星術に詳しく、まだインターネットが出来て間もない頃に、プログラムで無料占いが出来るサイトを作った先駆者でもありました。

誰もが死後に川を観る共通点、これは、神産みの神であるイザナギが、川で禊を行ったことでスサノオや住吉三神が生まれたように、三途の川というのはこの世での不浄を洗い流して、あの世に渡るための禊の場なのかもしれません。

科学的な統計調査からも、叔父のように臨死体験をした人の体験談には、川を観たという共通点がとても多いです。

「三日で元通り」、「三途の川」、「住吉三神」など、”三”というのは霊的に最重要な意味を持つようです。

「禊(みそぎ)」も、イザナギの禊に由来する「茅の輪くぐり」が左右三回くぐることから、「三回くぐり、素に戻す、儀式」という「三素義」とも取れると感じます。

絶えず流れる川は、絶えず動く神を表すのかも知れませんね。

かなり回りくどくなりましたが、こうした理由から、「恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」となるのが理想的だと感じるわけですね。

三日間、しっかり悲しんだら、その後は亡くなった大切な人・ペットを毎日供養しながら、いつか会えると思って、自分が死ぬその時まで忘れずに心に生かし続け、前を向いて生きていきましょう。

大切な人・ペットにいつかまた会うために、「くたばる喜びとっておけ」

前項の内容を受けて、亡くなった人やペットを、毎日供養して心に生かし続けることで、自分が死ぬ時の楽しみが大きくなっていくと感じます。

これが、人生で最も大切な死生観なのだと感じます。

だからと言って、「早く死にたい」と、生き急いでは元も子もありません。

しっかりと地に足をつけて、亡くなった方々・ペットがあの世から観ていて安心するように、胸を張って精一杯生きて行かないといけません。

生きてることが辛いこともありますが、その辛さがあるからこそ、楽しい、幸せな瞬間が輝くのです。

生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ

この意識が持てるようになった時、これまで持っていたような死に対する漠然とした不安から解放されるでしょう。

『生きてることが辛いなら』は、生きる真理を歌っている

前項までの歌詞以外の部分も、とても深い内容ですので、最後に簡潔にご紹介して締めたいと思います。

生きてることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい

悲しみはいつか一片の お花みたいに咲くという

生きることが辛いのに、あえて悲しみを観ろ、という表現も凄いですよね。

これは、人間の心理を上手く表現していると感じます。

人は臭い物に蓋をしようとしたり、観たくないものから目を背けようとするほど、ソレが気になってしょうがなくなります。

見て見ぬふりして逃げ回っていては、いつまで経っても、心に平安は戻って来ません。

だから、、

「生きてることが辛い時こそ、その悲しみをしっかりと観察して、前向きに昇華(消化)することが大切」

だと歌っているのだと感じます。

そうすれば、

「いつかは心に、一片の花びらが咲き、その積み重ねにより、たくさんの花弁をもつ蓮華となる」

ということであり、それを

「摘み取るような生き方をせず、大切に守って生きて生きなさい」

という、森山直太朗さん・御徒町凧さんのメッセージだと感じました。

そして、、、

何もないとこから

何もないとこへと

僕たちはこの世を生きる為に、肉体の物理感覚により発生する自我を自分だと思い込んでいますが、本当はそんな自我は存在しない、というのが真理だと最近感じています。

本当の自分というのは、物理的実体のない霊体(魂・想念)ですから、死ねば物理的には”何もないとこへと”、肉体や財産など”何もなかったかのように”あの世に還るわけですね。

そうして大宇宙を巡る(輪廻転生)のが、生命というものだと、だから、たとえ人生が辛くても「最期には救われるんだから、大丈夫だよ」ということを、この歌で伝えたかったのかも知れません。

だから、悠久の時を生きる不滅の魂(霊体)にとっては

歴史は小さなブランコで

宇宙は小さな水飲み場

となるわけですね。

改めて解釈してみると、とても深い人間賛歌だと分かりますね。

いつも素敵な歌を届けていただいて、ありがとうございます。

これからもずっと応援しています😆

最後にYouTubeから、生きとし生けるすべての魂に贈ります。。。

PS.
こんな素晴らしい歌を産み出しながら、『うんこ』や『よく虫が死んでいる』という茶目っ気たっぷりの歌も創る森山直太朗さんが大好きです笑

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