価値観を捨てるとは?仏教の教えの真意を紐解く
いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。
無事にジャンプ次世代バトル漫画賞へ投稿が出来たので、残り40分で最近感じていた価値観について書いて寝たいと思います。
僕の勝負作となる予定の漫画『MANATAMA』のテーマに、「人間とは何か?」というものがあるんですが、執筆中によく聴いていたインド仏教のスマナサーラ長老の説法から、価値観についてグルグルと頭の中を回っていました。
とくにこの動画、「すべての価値観を捨てる道」が仏教であり、お釈迦様が絶対の幸福への道として説いたことです。
超々々高難易度なことですが、お釈迦様の名言「恩讐(おんしゅう:情けと恨み)の彼方へ進むのだ」は、このことなんだと思います。
人間が不幸だと感じる根本原因は、価値観に基づいて評価し合っているためだというわけですね。
そもそも万物には価値観など存在せず、あくまで人間の尺度で決めてきたことです。
この価値観に基づいて、人やモノを評価し、活動し、生きるための自分なりの道を見つけ、自分が少しでも”居心地が良い”環境を構築しようとしています。
スマナサーラ長老は、この居心地よくなりたいという価値観があるから、それを実現しようと執着が生まれ、実現すれば今度はそれを失うことへの恐怖と、維持しようという執着が生まれるため、永遠に安定は来ないと説いているわけですね。
ここで個人的なことで恐縮ですが、僕は今最高に居心地が良い環境に居ます。
愛すべき妻子が居て、究極の癒し隊(猫3匹)が居て、それなりに健康で、安定した仕事をしながら漫画を描くことができる。。。
あれ?これはすでにここが天国じゃね?
と、思ったわけですよ。
でも、上述のスマナサーラ長老の説法に照らすと、妻子や愛猫、その他家族や親族など、今の環境を失うことを恐れてない?
つまり、天国だと感じている今を失うことについて、自分はどう感じているんだろうか?
と、自問自答していたのです。
ちなみに友達はいません笑
いや、友達に悪いのでいるにはいるんですが、あらゆる執着から離れていくと、遊びとか飲み会とかへの価値観が無くなってしまい、みんな県外に居ることも相まって疎遠になってしまいました。
これでも結婚前まではサーフィン友達も居たんですが、彼とも10年近く連絡を取っていませんし、サーフボードやウェットスーツなどはとっくに売り払っています😓
そんなこんなで遊興ということが妻子以外とは皆無なので、友達居ない感が強いんですね。
寂しいとかは全く無く、誘われれば遊びに行きますが、切っても切れない親友を除いては、執着を離れると誰でも自然と友達と疎遠になっていくだろうと思います。
親友も居たんですけどねぇ。。。彼は麻雀とパチンコ大好きな半廃人になってしまい、一緒に居づらくなってしまいました。。。
漫画だと「俺が変えてやる!」とか熱血になるんでしょうけど、現実は人を変えるというのは基本できないし、する必要もないことだと感じています。
そうすると、離れるしかないんですよね。
非常に話が脱線しましたが、要は僕は一般的な視点からすると、かなり仏教徒的な生き方をしているので、スマナサーラ長老の言葉も大抵はすんなり受け入れられるんですね。
まぁそうだよね、と。
妻子がおらず僕一人だったら、ガチで真我覚醒への道に入ると思います笑
妻子が居ると無理だと悟りました。
それが、スマナサーラ長老の「すべての価値観を捨てよ」ということにつながるわけですね。
僕は独自の価値観に基づいて、妻子を喜ばせたり、愛猫を可愛がったり、漫画を描いたり、地域猫活動をしているわけです。
これが、仏教徒的にすべての価値観を捨てる方向に進むと、、、
娘を喜ばせるために焼肉に連れて行ったり(僕と妻だけなら焼肉に行きません)、猫を飼ったり、漫画を描いたり、地域猫活動をしたりということはしないでしょう。
すべての価値観に左右されず、静観しながら、慈悲に基づいた活動を行う、それが徳の高い仏教徒の向かうところでしょう。
これが、絶対的に安定した幸せの境地に入るわけですね。
このことに全く異論は無いんです。
でも、ああ、僕は価値観を捨てることは出来ないんだなぁ、と思ったわけなんですね。
となると、真我を覚醒するという境地なんて、さらに無理だと悟ったわけです笑
ちょっと前まで、せっかく今という稀有な時代に生まれて、真我覚醒の道筋を知ることが出来たんだから目指したろうじゃんよ、的な感じだったんですね😓
まぁ、真我や悟りの境地は目指そうとした時点で到達はしないと感じています。
悟りたいという我欲を忘れて、今できることを、良心に基づいて、感謝を以て全力で臨む。
これを無心で繰り返していれば、誰でも悟るだろうと思います。
でも、これが出来る人はほとんどいません。僕然り。
しかし、社会のためになる漫画を、全力で描き続けているうちに、悟りについて新たな気づきが生まれるだろうとは感じています。
ちなみに、スマナサーラ長老の説法や、それこそお釈迦様の教えを現代で鵜呑みにしすぎると辛くなると思います。
なぜなら、お釈迦様の時代である当時の過酷なインドで生まれたのが仏教であり、今の時代、僕たち日本人の感覚とは乖離している部分があると感じます。
これは真理を否定しているわけではなく、仏教の背景を知った上で、教えの真意を嚙み砕く姿勢を持たないと、今回の僕みたいに「価値観を捨てられない~」という悩みが生まれてしまうということですね😓
あ、3時過ぎましたね。
そろそろ寝たいと思います笑
おやすみなさい。。。
あなたの心に、常に太陽が在ることを祈りつつ。。。
明日も善い一日になりますように😀