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里見氏の秘密(その1)。
僕は只の会社員なので映画『八犬伝』のシンポジウムには招待されていませんが、専門家の先生達が唖然とする、日本で僕だけが知っている里見氏と北条氏の歴史エピソードをズラ~っと書いてみましょう。
ちなみに僕には過去の映像を視れるチート才能があるので、文献史料が無くても当時の状況を把握する事が出来ます。世の中に発表しないのは、調子に乗って片っ端から歴史の謎や暗号を解いたので、数が多過ぎてまとめるのが面倒臭いからです。
それと、「私がアマチュア研究者のトップだ」と主張されるお婆さんがいて、僕が里見氏の話をすると嫉妬にメラメラ燃えてやたら絡んで来るので、講演会はもうやりません。平和主義の僕にはトップだとかどうでもよいし、そのお婆さんが講演すれば良いんじゃないかな~。
さて、1526年に鶴岡八幡宮の戦いが起こります。これは里見義豊が鎌倉に侵攻して、鶴岡八幡宮を炎上させた事件です。
この時に源氏の宝物をゴッソリ奪って行きましたが、それは「源氏の宝物が平家の北条氏の領地にあるのは許せん!」と考えたからです。
義豊は「もう要らない」と鶴岡八幡宮を燃やして、宝物を自国領にある鶴谷八幡宮に保管。しかし、激怒した北条氏綱は鶴岡八幡宮を再建し、里見氏も再建事業に参加させられます。
ところが、奪った源氏の宝刀を返還しなかったのが、後の里見氏滅亡と『八犬伝』誕生の伏線になります。
北条氏綱は里見義堯を支援して内乱を起こし、里見義豊を排除(稲村の変)。しかし義堯は後に氏綱と対立します。
義堯の息子・里見義弘は上杉謙信と組んで北条氏康とバチバチの領土争いをしましたが、形勢不利と判断して最終的に北条氏との同盟締結をしました(房相一和)。
義弘は息子達にも同盟継続を厳命して後継者に梅王丸を指名しましたが、「北条氏は敵だ!」と北条嫌いの家臣達が里見義頼を擁立して内紛を起こします。義頼は北条氏政の娘婿ですが、これは同盟の為に組まれた縁組で、義頼自身はアンチ北条派。梅王丸との内紛に勝利すると、翌年には反北条同盟に加わります。
その後は豊臣秀吉が小田原征伐を始めると、北条軍と闘います。活躍したので本来なら領土を加増されるハズが、「関東は小弓公方が統治すべきだ」と主張した結果、秀吉の逆鱗に触れてしまい、逆に領地を減らされました。
この時に窮地を救ってくれたのが徳川家康で、それ以降両家が急接近しますが、家康が征夷大将軍になった事で、源氏の宝刀を持つ里見氏が狙われる運命を辿る事になります(続く)。