最近のアヒルはしゃべるのね
人間と動物の違いは……という視点には小学校だか中学校だかの授業でも触れられていたような気がしますが、そこでのざっくり定義としては、二足歩行だったり、道具や火を使う、あるいは、言語を使うというようなことが書かれていたような記憶です。例によって、うろ覚えだけれども。
例えば、猿のみなさんが道具を使ったりすることもあるというのは知られているし、四十雀のお仲間たちが言語を操っているらしいというような研究が耳目に触れる昨今であります。年配の人ならエリマキトカゲが後足で屹立して疾走する姿を覚えておりましょうし、遡れば、ティラノサウルスなんぞも二足歩行をしていたと言われており、ですよ。あれ?
そもそも人間と動物とをどうしても区別しなければならん理由が思い当たらないわけで、ヒトも動物の中の一種類ということでいいじゃん、と思う。それ以上でもそれ以下でもなく。
どうしても、人間だけは動物とは違うんじゃい、特別なんだって言い張りたいという立場に寄り添ってみると、そうだな、人間だけが自然を破壊する、人間だけが無益に殺し合う、人間だけが必要以上の富を溜め込もうとする、などなどとなって、ああ、考えるんじゃなかったって気になったよ。人間ってソークーだな。いや、もちろん、そんなことばかりでもないのはわかっているけれど、自分たちだけは特別だぜってな思い上がりは捨てて、多くの動物のみなみなさまと仲良く生きていく道を模索せにゃあかん、と思う次第。
その昔、というほど昔でもないけれども、保険会社のCMでアヒルが喋るやつがありましたな。20年前ぐらいですかね。あれを見て「あら、最近のアヒルはしゃべるのね、えらいもんだわねえ」などとおふくろが言っていましたぞよ。あの段階で認知のトラブルがはじまっていたのか、あるいは、オウムや九官鳥のようにアヒルも人間の言葉を繰り返せるようになっていると見ていたのか、今でも判然としません。当時もはっきりせずにちょいもやもやした気がしたものの、うちの猫なんぞも喋るとおもろいよね、なんてな会話をしたことを思い出します。
猫やアヒルに限らず、あれやこれやのみんなが喋ったら楽しいだろうな。
激烈狭い庭にキアゲハ歓迎用に植えたアシタバ、空振りのまま三年たちましたが、今月、とうとう産卵にやってきました。いま幼虫から蛹化したところなんですよ。んで、ちょっとおつむが良くないのでしょうか、間もなく枯れちゃうような細い茎にくっついて蛹になっちゃったやつが二匹いて、このままだと茎が萎れて着地しちゃうじゃん、みたいなことになっており、救出せなしょうがないってんで、茎をカットして、雨風を凌げる壁に養生テープで固定したりしたわけなんだけれども、そういうときに「おっ、安全なとこに引っ越させてくれるのかい、悪いね、助かるよ」「まあ、いいってことよ」なんてな会話でもあればやり甲斐も倍増するわけですが、実際にはめたくそ暑い中黙々と作業をするしかないわけで、熱中症にならなくて良かったね。はい。
株分け、葉挿し、水挿しを駆使して、今や4鉢になっているサンスベリア・ハニーの諸君にもね、葉水という作業……ざっくり霧吹きで水をかけるってだけですが……を毎日やらせていただいてんですが「こんぐらい暑いと霧吹きの水は気持ちいいねえ、ごくろうさん」などと言ってもらえたりすれば「ああ、それはよござんした」なんてんでモチヴェイションがアップするんだけどね……って、無駄にカタカナを混ぜてしまいました。
そんな具合で動物も植物もみんなが喋れたら楽しいのはまちがいないと思う。そうは思うものの、ですよ。人間世界を見渡してみると、こいつはろくなこと言わねえな、ってな野郎もちょこちょこ存在する。いろいろ丁寧に説明申し上げてもほぼほぼ話が通じないって人もいたりするしねえ。そりゃ、おまえさんの説明が下手なんじゃろ、ということもあろうかとは思いますが。「かあさん、おれおれ」なんて電話してくるやつもいたりするし、ってなことを思うとさ、言葉ってどうなんだろうねえって気もしちゃうよね。特にさ、team LDPに代表されるギーン連中なんざ、軽々と嘘をつくは、何でも他人のせいにするは、意味を捻じ曲げる、捏造する、やりたい放題だYO……なんてなことを思う。
君ね、杉並の片隅でそんな感じでネガってばかりいてもしょうがないよ。悪い面ばかりじゃない。言葉には良い面だってあるじゃないですか。そういうところにも目を向けなさい。
まあ、そうなんですよね。結局のところ、使いようの問題だってのは確かなわけで。
言葉に良い面があるというのは事実です。というだけでなく、人間が言葉を失ったら、と思うとおっかないよね。
ご存知の方も多かろうと思いますが、『猿の惑星』の地では猿のみなみなさんは喋るんだけれどヒトは言語を持っていないんですね。主人公(チャールトン・ヘストン)がノヴァという現地の女性と同じ檻に入れられてちょびっと仲良くなるんだけれど、言葉が通じないわけ。通じないっていうか、この星のヒトは言葉を持たないわけでね。そのときの気持ちの伝えようの難しさ、やるせなさ。言葉がなくなったら、私らも毎日あの状態になるのか。嫌だなあ。
うちの愚かしい猫軍団を見ていると、言葉がなくてもうまいことやっていってますね、不思議なぐらいに。けれど、人間にもそれができるかというと、きわめて怪しい気がします。言葉が通じなかったら、どうする? せこい縄張り争いからはじまって、いずれは派手な殺し合いなんぞに突入しちゃうんじゃないかって気がしなくもないな。しまいにゃ「核ミサイル撃っちゃうぞ」なんてんで……っていうか「撃っちゃうぞ」って言葉すらない世界。ううむ。
人と人、国と国が滑らかに共存していくのに、必要なのはやっぱり言葉、コミュニケイションなんだよね。武器なんかじゃなくてさ。そこのお嬢さん、そう思いませんか?