凪のお暇
私は人に興味が無いのかもしれない。
これがいつの間にかコンプレックスになっていました。
みんなから「優しいね」って言われて中学受験する子が少ないために必死で周りの話題や空気にしがみついていた小学生時代がきっかけなのか、
いつの間にか他人に対して怒れなくなって、
人に何を言われても何も感じないようにと自分の感覚や逆鱗を麻痺させているうちに、
その麻痺させているという意識さえ、慣習になり無意識的に痺れさせることが出来てしまうようになりました。
でも最近、その弊害が出て来ていて、
年齢の割に良いことも悪いことも忘れやすいんです。
きっと今まで優しくてみんなに好かれる人間になるために、絶対怒らない、人に嫌なことをしないと誓い、人からされた嫌なことを必死で忘れよう、記憶の中で無かったことにしようとしていたことが原因の一つだと思います。
そしたらいつの間にかいい思い出や自分が活躍した思い出まで忘れやすくなってしまって、
自分がやってきたことを履歴書に書き起こそうとしても手帳を何年か分見ないと思い出せなくなってしまいました。
そんな哀れで惨めな私が、
「凪のお暇」というTBSで金曜10時から放送されている夜ドラを見ていて
心が締め付けられるとともに、心がちょっとだけ軽くなった話をしたいと思います。
ドラマとか小説、漫画で描かれるエピソードや出来事って誰かの共感と誰かの背中をそっと撫でてくれるような役割があって、SNSが誕生してドラマの感想を実況形式で共有できるようになった今、この役割が担う部分というのはさらに大きくなっていると私は考えています。
今回の例でいえば、
「人に興味が無いのがコンプレックス」だったから、凪のお暇見ていて辛くなった
という趣旨のツイートがバズっていました。
凪という主人公はその場の空気を読みすぎて、一人で疲れて一人で損をするタイプのお人よし八方美人な性格。彼女自身は人見知りだとか、会話が上手くできないなどいわゆるコミュ力に問題があると思っていましたが、働いているバーのママから下記のような助言をされます。
https://twitter.com/meshigaumaina/status/1165617882648084480?s=19
からお借りしました。
私は上のツイートをリア垢で見つけたのですが、
そのツイートをリツイートしたら、
「私が人=友人等のフォロワーに興味が無いことがバレる!優しい人間じゃないことがばれる!」
と本性が晒されることを恐れて、
静かに別垢でリツイートしました。
人に興味が無い
だから人に怒る気力さえ起きない
だから周りからは優しいとおだてられる
だからさらに怒りづらくなる
もしくはその誉め言葉でさえも他人の言葉は基本信じないためになんの喜びも感じない
でも長い期間一緒にいると、
少しずつ本性がばれていく
「興味ないんでしょw」と言われる
ドキリとして硬直する。
図星だから。
でも我に返って笑顔でごまかす。「んなわけないじゃん!」と。
そして信頼は薄れていく
結局孤独になって
自尊心が肥大化した自分だけが抜け殻の様に残る
ゾンビの様に自分が信頼できる人を求めて止まない
自分が遠ざけておいてこのザマである
久しぶりに、中島敦の『山月記』でも読んでみるとしよう。
こうして世界に浸って寂しい現実をまた逃避する。