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国際法の在り方
法治国家に生まれ育った私にとって、法とは絶対的信頼の置けるものであり、一つの価値判断の手段、人格形成の一要素にもなりうるものとなっている。
しかし、法の在り方というのは実は非常に曖昧で、解釈の域なのだと拍子抜けすることが度々ある。
日本経済新聞に「国際法・ルールと日本」という特集が組まれており、考えさせられた。
それを参照して感じたことを高校生や大学生でもわかりやすいように書き留めておきたい。
国連海洋法条約では「EEZ及び大陸棚における海洋調査は沿岸国の同意を得て実施する」と定められている。しかし、国際法あるあるで、違反したときの強制的な対抗措置の規定はない。そのため、国際機関が警告を出したところで無視されたら、バイで抗議するしかないのが現状である。
EEZ(排他的経済水域)は沿岸から200カイリまでのため、日中のEEZは重なる。
その結果、境界線に対する主張が両国で異なる。
日本:互いの海岸線の中央線までが自国のものである(数学的観点)
中国:沖縄トラフまでが自国のものである(地学的観点から)
ここで
ん?沖縄トラフって200カイリ超えてるのでは???となる。
そうなのだ、私はここに注目したい。
この国連海洋法条約では海岸から200カイリ以上でも、地形や地質の条件を満たせば大陸棚として認められる。そして大陸棚と認められた際には、その大陸棚の資源に権利を得るのである。
ならば、地形や地質の条件を満たすデータをどうにかしてとってきて、大陸棚として認めさせてしまおうではないか!!という中国なりの少々強引な賢さなのである。(私は正直言って感心してしまった)
そのために、中国船は日本が解釈するEEZに7月に二回ほど無断侵入している。海底地質調査をするためだという。
というのも、国際司法裁判所には二種類の判例がすでに存在しており、地質や地形など地学的観点から境界を定めたものもあれば、中間線という非常に人工的な考え方から境界を定めたものもある。
さらに、仲裁裁判所という一方的にどちらかの国から相手国を提訴できる国際的な機関もあるにはあるのだが、以前に中国は南シナ海問題でフィリピンに敗訴したものの、判決をものともせずにしたことで、解決の方向には行かなかった。
山田吉彦教授(東海大)も紙面で「国際法の世界は正しければ、勝てるとは限らない。」と言っている。
ここに国際機関やマルチラテラリズムの弱点が出てきている。
・曖昧
・判例主義
・強制力が無い
そこにトランプという男の登場は社会学的にも注目されている。
正義やtrue or falseの話ではなく
「誰が一番先にそれをそれっぽく繰り返し共感してもらえるか?」
つまり、
「言ったもん勝ち」。
この倫理観はマルチラテラルとバイラテラル・ユニラテラルのジレンマを抱えた現代社会で当分続くものだと考えている。
自分が正しい、中立だと信じているメディアや情報も真に受けるのはよして置いたほうがよさそうだ。
では、法治国家に生まれた自分たちが最も気を使わなくてはいけないことは何か?
それは、
「権利は努力して得るものである」
ということを心に留めて、
権利の行使を辞めないことである。
丸山真男の分類を使えば、「ある」ものの存在を、「する」ことで改良・踏襲していく必要があるのである。
権利は放っておけば、そのままになるのではない。
国民の解釈と努力によって変わっていくものである。
何も手に付けてないといつの間にか自分の手元にないかもしれない。
糠漬けのようなものなのだ。
適度に世話していれば、美味しい糠漬けがいつの間にか出来上がる
美味しい糠漬けをお裾分けしているうちに自分の家で食べる分がいつの間にか無くなっていることもあるかもしれない
だけれど、放っておけばカビだって生えるし、食べることが出来なくなって捨てることになることだってある
まずは自分の権利が蓋の中でどんな味になっているかきちんと確認してあげることから始めよう。
参照:
日中、海洋法条約で対立 日本経済新聞 2019/8/23 朝刊