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ドニゴール想ひ出紀行「イアンデューリーとフランチェスカ」

ロンドンの泉谷しげること故イアン=デューリーに「The Bus Driver's Prayer & Other Stories」という名盤がある。佳作が揃ったこのアルバムの中に「O'Donegal」という曲が入っている。イアンが幼いころに住んでいたアイルランドのドニゴールを望郷して書いた曲と言われており、曲調はアイルランド民謡風味だ。

ジュワッと沁みる、この曲。高校のときの地図帳でアイルランド島を調べるに、風光明媚な荒地が多くて面白そうだ。よし、ドニゴールでO'Donegalをギターで弾いてみようと思い立ち、ギタレレ片手にアイルランドに旅立った。2000年9月のことである。

我が故郷川越を出発し、成田空港から漁船で海洋に出たら漂流してしまうも、ロンドン経由ダブリン行きの捕鯨船ヴァージン・アトランティック号に拾われ無事ダブリンに辿り着いた。では、ダブリン空港の観光案内所で、その日の宿を紹介してもらうとしよう。

安くて綺麗な部屋とリクエストをしたらトリニティカレッジの寮をあてがわれた。寮の窮屈なベッドで寝て、翌日、ドニゴール行きの長距離バスに乗った。牧歌的な景色が続く中ポツポツ小さな街に停まりつつ、4時間半ほどかかってドニゴールタウンの中心地に着いた。午後3時くらいであった。

そこは中心地と言っても繁華街があるわけでもなく、観光地然としているわけでもなかった。のんびり歩いて1周できそうな規模の街並みである。街の人口は数千人程度らしい。

「さあ、イアン、ドニゴールに来たよ。」
などと特に呟かずにバスを降りた。長距離バスの揺れと時差ボケで疲れた体を癒すため、路傍でボォ〜としていると、同じバスに乗っていた女性に声をかけられた。

イタリアのミラノから来たフランチェスカ、好物は肉と自己紹介をしてくれた。
「バスに乗ってて疲れたね。どこから来たの。名前は何。明日、スリーヴ・リーグに一緒に行こうよ、ヒッチハイクで。」
笑顔を絶やさない明るく素敵な女性だ。戦国武将に例えると前田政家といったところか。

スリーヴ・リーグはドニゴール県の南西部にあり、海に面した高度が欧州一を誇る断崖である。荒地マニアなら皆が震える絶壁だ。今後の予定がO'Donegalをギタレレで弾くことだけだった私は、フランチェスカの誘いに即座に応じた。

翌朝、私にとって初ヒッチハイクではあるが、我々はスリーヴ・リーグの絶景地近くまで行く乗用車をあっさりと見つけられた。アイルランド観光中のドイツ人ご夫妻のレンタカーであった。
「やった、日独伊が揃ったね。やっぱり領土拡張主義が正義だよね。」
といったウイットに富んだ会話はせず、ドニゴールタウンから目的地まで30分ほど乗せてもらった。

車を降りてからは、丘陵地の登り斜面となるフットパスをゆっくりと進んで行った。この日の昼食はフランチェスカが宿で作ってくれたサンドウィッチだ。道すがらベリーの実を取って摘み喰いするのも乙であった。

昼食中

歩き始めてから2時間後、我々は絶景ポイントに辿り着いた。
「おや、強風。」
荒地には強風がよく似合う。高度もそこそこあり崖下を覗き込むと恐怖を感じる。吊り橋効果からか、フランチェスカが私に強烈な恋愛感情をぶつけてきたような気がしなくもなかったわけでもなくはなかった。

絶景中

しばらく絶景を堪能した後、ドニゴールタウンに戻る車を探したが、これが難儀した。もともと車の往来が少ない僻地で、日が傾いてきてさらにヒッチハイクがし辛くなっていた。やっとのことでニューヨークから来たご夫妻の車に拾われた。助かった。ご親切が有難い。

その車を運転をするご主人は、アメリカとは逆の右ハンドル左側通行に不慣れで困っているとのことだった。
「日本はアイルランドと同じ左側通行か。運転を代わってくれないか。」
私ははっきりと答えた。
「嫌です。」
疲れていたのだ。

ドニゴールタウンに着いたときにはすっかり暗くなっていた。フランチェスカと一緒に食事をとりアイリッシュビールをしこたま飲み、ドニゴールの夜はさらに更けていった。

翌日は一人でドニゴールタウンを流れるエスケ川の河口付近を散策した。この日は穏やか気候で、川の流れも時間の流れも緩やかだ。現地の方々もほとんど見かけず、とても静かな一画であった。

それでは、そろそろかな。始めるか。
誰もいない河原でチェック柄のソフトケースからギタレレを取り出し音叉でチューニングをし、徐に弾き始めた。イアン=デューリーの佳曲O'Donegalを。この曲をこの土地で弾くために、我が故郷川越からやって来た、軽い思いつきだけで。浅い達成感をこのとき得られた。

旅のお供に小型ギター

この旅を終え日本に戻ってから、O'Donegalにインスパイアされ、リスペクトをし、軽くパクり、ドニゴールの想ひ出を胸に曲を作った。このとき浮かんだメロディー、コード進行は20年以上も記憶から消えることがなく、2023年初頭、DTMアプリでこのメロディーを打ち込んでおこうと試みたら、すんなりできた。

スリーヴ・リーグに一緒に行ったフランチェスカは今頃どこで何をしているのであろうか。実は今、フランチェスカは、もとい妻はあの日と同じ美味しいサンドウィッチをキッチンで作ってくれている。といった異世界転生漫画のような何でもあり設定が叶うはずもなく、残念ながら行方知れずである。会いたいな、君に。

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