小笠原諸島の島々
小笠原諸島は、東京都特別区の南南東約1,000キロメートルの太平洋上にある30余の島々からなる。小笠原諸島は別名をボニン諸島 という。2011年に世界遺産に登録されてからも、雄大な自然が残る島々の魅力は変わらず多くの人を惹きつけています。気候は亜熱帯に属し、一年を通して寒暖の差は少なく温暖です。晴れていれば1月でも半袖で問題ないほど。
①父島
小笠原諸島は、大陸と一度も陸続きになったことがないため、海流、風、鳥などによって運ばれてきた動植物は独自の進化を遂げました。原生状態を保つ亜熱帯の森と山を、固有の動植物や鳥をウォッチングしながらのハイキングやトレッキングは、驚きと感動がいっぱいです。
■タコノキ
タコノキは父島でも母島でも色々な場所で見ることができます。パイナップルみたいな実をつけていますが、この実はとても固く、甘い果物ではありません。
■父島の花
■不思議な実
■父島のメイン道路
■ギョサン(サンダル)
■モニュメント
■大村海岸
■烏帽子岩
②北硫黄島
北硫黄島は、1899年に石野平之丞によって開墾が着手され、1902年には北硫黄島仮学校が開校している。1904年(明治37年)の人口は156人に達しています。1920年、石野平之丞より東大教授に磨製石斧三個が献上され、返還後における遺跡発見の伏線となりました。北硫黄島の産業はサトウキビ栽培を主とした農業や、マルサザエ採取、ムロ節の製造など。
➂硫黄島
東京から南へ約1,250kmに位置し、亜熱帯海洋性気候であり、火山列島、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と、南北に連なっています。この島は、第二次世界大戦の戦地であり、およそ2万1900人の日本人が戦死した。戦後は、米国の施政権下となり、1968年6月26日に日本に返還されます。返還後は、自衛隊の基地として、約400名余りの海上・航空自衛隊員が駐屯し、基地業務の他、島内の維持や気象業務、災害派遣などを行い、日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び、安全保障条約に基づき、滑走路などを米軍と共同使用、夜間離発着訓練も実施されています。
■摺鉢山
太平洋戦争時に日本軍がトンネルを掘って拠点を作り、米軍と戦った場所として知られる。
■硫黄島航空基地
硫黄島内にある硫黄島飛行場を海上自衛隊の硫黄島航空基地隊と航空自衛隊の硫黄島分屯基地が運営・統制する。
■米軍の飛行機
硫黄島の航空基地において、滑走路を米海軍空母ジョージ・ワシントンの甲板に見立てた艦載機着陸訓練が行われています。
■第二次世界大戦で使用された米軍の廃船
島の西側の海岸、砂浜にぼろぼろに朽ちた船の残骸がいくつも転がっている。戦闘終了後、大きな港湾施設がない硫黄島に、艦船で接岸できる足場を作ろうと、米軍が船を沈めて足場にしようとした。隆起で陸上に出てきた。
■上陸ビーチ(翁浜)
■噴煙(鶯地獄)
■釜岩
④南硫黄島
南硫黄島は、東京の南方約1,300kmに位置 し、面積3.5平方km、周囲7.5km、標高916mの円錐形 の火山島で、周囲は険しい絶壁を形成し、島には淡水が無く定住者もいません。南硫黄島の北東約5kmには海底火山があり、これまで何度か新島を形成する噴火が記録されています。島は、全く人為の影響を受けていないとい言ってよく、自然植生などは保持され、海鳥の繁殖地ともなっています。1972年、全島が天然記念物に指定され、2011年、北硫黄島と共に世界自然遺産に登録されました。
■美しい日本の風景