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マルチタスクが出来ない

生まれつき、自分にはハンディキャップがある。

そう、私はマルチタスクとやらが極端に苦手なのだ。

所謂、発達障害的な言葉で片付けてしまうとそれまでなのだが、これが結構しんどいのである。


まず、マルチタスクが苦手という障害は、目に見えない。

それ故に誰からも理解され難いのだ。

実際のところ、私も親にこれが理解されず、「それはただ自分に甘いだけ」だなんて言われ続けてきた。

「初めは誰だってできない」、「言い訳ばっかじゃん」

これはもう人生で1万回くらいは言われているだろう。

正直、確かに自分の行動が言い訳に変わる瞬間は何回も味わっている。

でも、それが言い訳だと自分でも分かっているからこそ、余計に辛いのだ。


一応大学に入ってからは、将来役に立つ資格を取る、ピアノを毎日練習する、ランニングを毎日するとかいう目標を正式に掲げていた。

しかし、これらの目標は現在まったく達成していない。

その達成できない理由としては、大学の授業が大変、友達付き合いを優先している、新しいことばっかで疲れた、などが挙げられる。

まぁ実際問題それは間違いないのだが、だからと言って上の目標がまったくできない訳ではないのである。

資格の勉強も、ピアノの練習も、ランニングも、1日1時間はする余裕なんて普通にあった。

増してや土日なんて学校がないのだからもっと色んなことが出来たはずだ。

実際の私はただ何もせず無駄な時間を過ごしていただけであった。


今思えば、どれも出来たはずだと思ってしまう。

だからこそ、余計に自分が苦しくなるのだ。


現在私は夏休み中であり、結構自分の時間を満喫している。

いや、しすぎている。

毎日、あぁ今日も何もしなかった、と後悔している。

しかし、予定がある前日からは非常に身体が重くなる。

もうちょっと休ませてほしい、と言い訳を言う。


後悔するのは毎回同じだし、時間を無駄にしていることに気付くのは、後悔してからである。

その時の自分は、今日くらい休もうとか甘ったれている。

もううんざりだ。

ただ、分かって欲しいのは、これは恐らく努力なんかではカバーできないということだ。

マルチタスクの努力なんて義務教育のうちにたくさんさせられているはずだろうし、現実問題マルチタスクが当たり前の世の中である。

そんな義務に劣等を感じている私は、ただの弱者である。


だが、この文を読んでる人でも、ずっと言い訳を言っていると思う人もいるだろう。

もっと努力しろと叱る人もいるはずだ。

それも間違いじゃない。

でも、あえて表現を変えるなら、言い訳を言っていないとやってられないのだ。

自分を受け入れられないのだ。



いつか自分のことを好きになれる日は来るのか。

同じように思っている人がいますように。


あなたのサポートのおかげで人生頑張れますっ 宜しく頼んますっ