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【キー16】短歌ー監視カメラを見るのが好き

生活で、「おもしろ」の価値が大きいことにうんざりすることがある。

誰々は飲んでも面白くないから誘わない。とか、誰々はイケメンで十分モテるから面白くなる努力をしてこなかった。とか。

「おもしろくない」のジャッジを下されることが、人との関わりで必要以上に深刻な影響を及ぼしているような気がする。

そして僕は面白くない側の人間であるというコンプレックスがたぶんある。何十分も話がノンストップということはないし、反射神経が悪いからうまいツッコミとかもできない。

僕が短歌の、日常の素晴らしさとかおもしろさとかを描く姿勢が好きなのにはこのコンプレックスが関係していると思う。「別に高級なレストランいけなくても人生楽しいし」「ふつうに生きてるだけでおもしろいこと沢山あるし」という僕の意地みたいなものを、短歌が肯定してくれるから、きもちい。


僕は監視カメラの映像を見るのが好きだ。

ただ実際は監視カメラの映像を眺め続ける管理人さんの業務を経験したことはないので、正確に言うならば、「監視カメラ的映像に魅力を感じるからだ」となる。

「監視カメラ的映像」は、映画とカットの有無という点で、対になる映像だ。

映画にはカットがある。つまり、ある場面からある場面へ映像が切り替わる。
管制塔でエンジニアが呑気に雑談している映像がパッと切り替わり、→雷雨のジャングルで恐竜の声に怯えながらジープを運転する博士と子供たちの映像が流れる。映画はエンジニアのくだらない雑談をいつまでも流し続けるわけではない。

一方の監視カメラ的映像にはカットがない。つまり、見ている限り永遠に同じ場面を定点で観察しつづけることができる。管制塔の監視カメラはエンジニアの雑談や居眠りを永遠に映している。

この特徴をもった監視カメラ的映像に、映画にはない「おもしろさ」が潜んでいる可能性がある。ある人やある場所を、カット無しで24時間ずーっと見ていたら何かしらおもしろいのではないかという期待感がある。

その人のその後の人生に重要な影響をあたえる場面でもないし、他の登場人物との会話があったわけじゃないから、映画だったら間違いなくカットされるような光景も監視カメラには映る。そこに何か面白いものが映ってはいないか。

グーグルの検索欄にてんさいと書いて消すうんこと書いて消す

永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

監視カメラで誰かのこんな場面を見てしまったら面白すぎてニヤニヤしてしまう。
「てんさい」を変換する気力すらなく指遊びで「TENSAI」とか「UNKO」とかタイプして検索結果も見ずに1秒で消す、みたいな時間の使い方をする場面だって監視カメラは見ている。

永井さんの第二歌集『広い世界と2や8や7』からもう一首。

WikipediaのURLをときどき わたしはコピーして貼り付ける

永井裕『広い世界と2や8や7』

「おれ、今日WikipediaのURLをコピペしたんだよね」と言われてもおもしろくない。こういわれるとおもしろいな。ではなく、⇆こういう場面を見かけたらおもしろいな。という点でこの一首も非常に、監視カメラしている。

何回も紐をひいて電気を消した それはカンフーみたいな動き

青松輝『4』

和室の真ん中にだらんと垂れてる紐をひく動き。
ペットを仕事先からも見守るために自宅に設置するカメラとかが売られているけど、そこにはこんな自分も撮られている。

ポッキーの側面にある「平井堅」があけたら「平井」と「堅」にわかれた

永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

映画でポッキーの箱を開けるシーンがあっても、パッケージにピントは合っていないはず。あけた本人も気づかないことが殆どだろう。
ただ監視カメラには映っている。本人が気づかなくても管理人室の椅子に座っている僕には丸見えなのだ。

こしあんの方が好きって言いづらいこの場の空気どうするかなあ

阿波野巧也『ビギナーズラック』

他人が至近距離のゴミ箱にゴミを投げて外したのをみるとおもしろいのと同じで、人のかっこわるい場面を見るのはおもしろい。だから運動苦手芸人とかも支持されてきた。
ただ、一般に人は自分のかっこわるいところを隠そうとするからそれを見る機会は少なくて、かっこわるくないイケメンはおもしろくない。
ただし監視カメラだけは、こし餡の方が好きと言えずに迷っている、かっこわるいイケメンの姿もみている。

家を出る日の朝。それでも豆苗は事情を知らず伸び続けてた

上坂あゆみ『老人ホームで死ぬほどモテたい』

定点の監視カメラは文字通り定まっているから、大喧嘩をしたとかお嫁に行くとか僕たちの事情には左右されない。こんな流されないカメラだからこそ、育て主の事情に左右されない豆苗を見守ることができる。部屋をでていく主人公についていってしまう映画のカメラにはこれができない。


映画に、監視カメラの面白さを採用しようと思ったら、監督が「カット!」と叫んでももう10秒か20秒くらいカメラを回しつづけるとよいと思う。

組分けでハッフルパフに決まったがハッフルパフは叫ぶのが無理

水野しず『見て見ぬフリをされるのに失敗』

映画『ハリー・ポッターと賢者の石』で組分け帽子が「グリフィンドール!!!!!」と叫んだのを見届けて監督はカットを指示したわけだが、そこでカメラを回し続けたらどうだっただろう。
ハッフルパフを叫びたいのに空気が口から変に抜けてしまい、うまく叫べず中途半端におわってしまった組分け帽子を見ることができたかもしれない。

他にも

おやすみと言ってからホームにのぼり自販機でほうじ茶を選んだ

永井祐『広い世界と2や8や7』

とか。おやすみでシーンは変わるのが映画。そこでもうちょっとカメラを回し続けたら、冷静にホームに戻って自販機でほうじ茶を選んでいるヒロインの姿をみられたのに。Suicaのピッという音とかもしちゃうんだ。


でも映画のカメラも、監視カメラも不可侵なゾーンというのが僕たちの生活にはたくさんある。

ウォシュレットがぴしりと的を射抜くよう膝をそろえて背筋をのばす

斉藤斎藤『渡辺のわたし』

結局、自分の生活の1番おもしろい場面は自分だけが分かっているものだし、それで十分なのかもしれない。

知らないところで誰にどう言われていようと、自分のことをおもしろいと思って一緒に飲んだり遊んでくれる人がひとりでもふたりでもいれば、日常にこれ以上の幸せはないのである。


おまけ①

会社のポータブルサイトに同じような記事を投稿しようと思ったら、「うんこ」がアウトワードらしくそのままの形で掲載できなかった。

ただ、うんこで始めてウォシュレットで終わる。をやりたくて、「う んこ」表記をする力技をつかった。

おまけ②

大勢で集合写真をとっている人たちを側からみる。が、おもしろくて好きだったり、あるいはスポーツとかを自分でやるより人がやっているのを見るのが好き。なのも、監視カメラが好き的な価値観かもしれない。

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