【キー20】奇妙で平凡な日々
今朝も山手線は大混雑で、ホームでまつ人々はとても全員乗り切れそうにない。しかたない。次の一本をまつしかないか。
ところがどうも様子がおかしい。間髪入れずにくるはずの山手線がなかなか来ない。あたりがすこし騒がしいので、何かあったのかとイヤフォンを外す。
なにか妙じゃないか。録音の声でまわっている駅は通常営業で電車がすぐにやってくる。ところが駅員の声がするということは「なにかが起きている」のだ。きっとイレギュラーで幸せでないことだ。
気づけば、僕たちが日頃使う駅のスタンダードは、機械の録音で運営がなされ人の声は緊急時にしか登場しない。
この倒錯しているような状態はいつからだったけ、自分が幼稚園生の頃は駅員さんがアナウンスしていた気がするな とかをふと思い出しながら、いつも通り出社する。
上司が話しかけてきた。
「昨日の打合せで話してた資料って、赤羽がまとめてくれてるんだっけ?」
「あ、そうです。自分がやってます。」
「了解。じゃ赤羽さん作り終わったら相手に送っといてくれる?」
「わかりました。今日中にはやっときます」
あれ、昨日まで「さん」呼びだったのに、いま一瞬呼び捨てになった? と思ったら、さん呼びにまた戻っちゃた。聞き間違いだったのかな。何か感情の揺らぎがあったのだろうか、とかに意識が飛ぶ。
僕は会社では上へも下へも「さん付け」が丁寧でいいじゃんと思うけど、「呼び捨ての方が距離の近さを感じてよい」という考えの持ち主は、上の人にも下の人にもいるからテキセツな距離感を模索している人は大変だな。
朝のメール返信タイム。
こういう変換ミスに出会うと思わずメモしたくなる。
キーボードをうつ手はとまらない。
これまでの人生の何百時間を費やしたタイピング。それでも、「ふじゆう」のように指と指がぶつかる瞬間にまだ出会う。キーボードの上だけでも何通りの指運びが存在するのか。
午前の打合せに臨む。
赤しか生き残っていないのに、わざわざ太い三色ボールペンを持ち歩いている。冷静に考えるとなにか間抜けで愛おしい。
打合せの結果、社内の定例会議を来週から開催することになった。Outlookで参加者の皆さんに予定を投入しないといけない。
開催は「繰り返し」に設定して、その期限は定めない。
仮に今の瞬間、この頭上に謎の光が降ってきて僕が異世界に運ばれていったとしても、僕が設定した定例会議は二千年後も生き残り続ける。
昼休みになった。
たまには外に食べに出るかとエレベーターへ向かったら、前から本部長が歩いてきた。
ボールを避けるように会釈をする。
会議のための資料を印刷している人がいる。
コピー機をじっと見つめているひととき。
その時間に何を考えているかは他人の誰にも分からないから、目の前の現実と遠く離れた宇宙にだって思考を飛ばすことだってできる。
こうしてる間に本日最後の会議。プロジェクトも大詰めで議論が白熱する予感がする。
実用的でありがたい先輩からのアドバイス。こういうのを教えてくれる先輩は好きだ。
今晩はどこかの偉い人との飲み会がある。
祈っているわけでもないのに殊勝に手を合わせている僕は何をしているのかと思えば、偉い人の話に対する拍手のためのスタンバイだ。これはこれで面白いからいい。
最初は乗り気じゃなかった飲み会も、存外盛り上がって三次会まで行ってしまった。
星はきらきらなんて光っていない。飲みすぎて終電のホームからみる星はぴりぴり光っているし、飲んだ水も舌に痺れる。
飲みすぎてまっすぐ歩けない。側溝におちて足を捻ったようだ。
深夜だし誰にも聞こえないくらいの声で、誰か心優しい人が通りがかるかもしれないとかを酔った頭で考えて、一応、「たすけて」と言ってみる。
最悪。なんて格好悪い。
それでも、日常の「妙さ」をこう振り返ってみれば飽きずに明日も明後日もやっていけそうな気がする。
そういえば今日、上司との雑談ではじめて冗談をいってウケた気がする。
入社して半年が経過した。小さなマイルストーンを大切に、そして改めて日々の不思議さやおもしろさを見つめ直し、今後も楽しんでいきたい。
※本記事に登場する人々は、実際の人物とは一切関係ありません。