【キー21】短歌ーコンビニ人間
2024年になると僕は直ちに24歳になる。24歳人間。
24といえばコンビニ。
今年の僕はコンビニ人間。
コンビニは何でもそろっている。だからといってコンビニ全てが同じ商品ラインナップじゃないのが面白いところだ。ブランド/地域/店舗/によって個性があって、例えば、みなとみらいにある「セブンイレブン ハンマーヘッド店」には世界各地のビールが揃っておりクラフトビールのカラフルな缶模様が壁いっぱいに並ぶ様を眺めるだけでも楽しい。
食べログってコンビニも抑えてるのかよ。
生活密着のコンビニだからこそ、その個性が「わたし」に大きく響くこともある。
例えばコンビニのせいで東京まるごとを嫌いになる人もいるのだ。
一方で、コンビニをきっかけに人を好きになることもある。
コンビニ「で」いいや、と言ってしまうわたし、に対して、コンビニへの偏見のない父。もちろんこれはリスペクトの一首。でもこんなお父さんはどこかやっぱり恥ずかしい。
どうしてわたしたちは「コンビニでいいや」とか、「ちょっとお父さん、コンビニ弁当で喜ばないでよ」とか思ってしまうのか。
歌人の穂村弘は、わたしたちは究極まで洗練を重ねた社会の効率化に追い詰められているから、だと言う。コンビニは生き延びねばならぬという側の社会の要請を受けて発明された「生きのびる」ための知恵の結晶である。であるからこそ、その場に足を踏み入れたときにわたしたち一人ひとりが持っている「生きる」側の自分が拒否反応を示しているのだと。
そのため、例えば、
のように、ワイルドな「生きる」力を持った人に対してリスペクトがある。
往々にして短歌は弱く小さな存在に目を配る作品が多いから、この社会で絶対的に強く、皆が守り続ける「生きのびる」ための知恵や価値観よりも、これら「生きる」側の立場を肯定する作品が多い。この短歌の価値観が、私が短歌を愛する理由の一つである。
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さて、生きのびるために便利で大変ありがたいコンビニだが、「揃いすぎて不気味」みたいな感覚を抱いたことは多くの人が一度はあるのではないだろうか。道路看板に「酒」「たばこ」「ATM」が並んでいてそこに24時間アクセス可能なスポットが日本中にあるというこの国のシステムのこわさ。
コンビニでアルプスの水が売られている。「水」をわざわざ買うなんて、という抵抗感が一世代前にはあったはずだが今ではだいぶ薄れているのではないか。
水は売られた。そのうち、酸素も売られ始めるぞ、という警告の一首。いや実際に光化学スモッグが社会問題となった高度経済成長期には酸素自販機が設置された喫茶店があったとか。
酸素ならまだマシだった。コンビニは世界のすべてをカバーしまった。
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一方で、なんだかんだコンビニに対して愛着もある。
セブンイレブンでもローソンでもニューデイズでも、コンビニはキャンペーンや季節限定商品を打ち出した「店頭幕」を吊るしている。
都内のさまざまな物件見学をさせていただいた昨年の春頃のファミリーマート店頭幕といえば、「ポケモン フラッペ」一色だった。
「っぺ」ってなんなんだ。
なんか怒れてきてしまうし、次第に笑えてきてしまう。
しかもこの一首を声に出して読むとき、「っぺ」で本当にあほの顔をさせらてしまう。「さすがにだめだなぁ」と上牧さんの肩を持たざるを得なくなる。
入社したてで緊張しながら外を回っていたとき、妙な納得感のある笑いをくれたのもまた短歌であり、コンビニであった。
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最後に、24時間稼働しつづける全国のコンビが「バグってしまった」ときに運が良いと聞けるかもしれない接客用語から一首。
この宇宙にはパラレルワールドがあって、ある世界線のコンビニではこれが普通の接客トークマニュアルなのだ。きっと。
愛すべきコンビニ。
【参考文献】
穂村弘『はじめての短歌』(2014年) p.83~p.90